2015年9月28日月曜日

新刊『いのちを受けとめるかたち』に寄せて


 
 ※先ごろ「いのちを考える、いのちから考えるセミナー」シリーズとして、第1弾の「いのちを受けとめるかたちー身寄りになること」がでました。今回は、セミナー誕生のいきさつにふれて福岡市の在宅医、二ノ坂保喜さんからのメッセージを掲載させていただきました。


○米沢慧さんと最初に出会ったのはいつだったか。 二ノ坂保喜
たぶん、「バイオエシックスと看護を考える会」の席ではなかっただろうか。定かではない。
米沢さんとの出会いの前に、大きな出会いがあった。それは、米沢さんの生涯の師・岡村昭彦との出会いである。私は大学を卒業して、外科医として働きはじめて10年くらい経っていた。北九州市小倉の駅前にあった書店で、岡村昭彦の『ホスピスへの遠い道〈岡村昭彦集6〉』(筑摩書房 1987年)という分厚い本が目に留まった。当時、急性期病院の外科医として日々現場に立っていたが、「ホスピス」という言葉をどこかで意識しはじめていたのだと思う。手にとってすぐに購入した。

岡村昭彦の名前は、『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波新書 1965年)などで知っていた。ヴェトナム戦争をはじめ世界の紛争と貧困の地に赴き、第一線で写真を撮り続ける報道カメラマンというくらいの認識であった。
内容はまさに「ホスピスへの遠い遠い道」で、世界を巡った詳細なルポルタージュは岡村が自らの探求をあますところなく伝えようとしたもので、読者にとって読みやすいように、わかりやすいように、などという親切心はまるで感じられない文章だった。この本は、「看護教育」(医学書院)に2年間(1983年の3月から1985年4月まで〈途中半年中断〉)にわたって連載され、未完に終わったが、ケアの最前線にある看護師にこそ「ホスピス」の真の意味を伝えたい、そのためには安易に手を抜かないという真摯な思いが読み進むにつれて伝わってきた。
この本の中で多くの本が紹介されていたが、私は岡村の後を追うように手に入る限り購入し、読んだ。岡村昭彦は、私がこの本を手にした1、2年前に56歳で亡くなっていた。これが最晩年の著書であり、彼の最後の情熱が熾火のように「ホスピス」を照らしていた。『ホスピスへの遠い道』は、私自身がそれから歩むことになる遠い道の出発点にあり、今も道標である。
この本の解説を書いたのが米沢慧さんであった。岡村昭彦との出会いが、米沢さんとの出会いへと必然的につながったように思う。

生前の岡村昭彦はだれにも臆せず、常に豪速球を投げ、周囲の状況にあまり斟酌しない人だったような印象である。生前の彼をビデオを通して観ると、インタビュアーへの気遣いを見せながらも、ずばっと言いたいことを言っている。米沢慧さんは、むしろ訥々とものを言う人だ。奥出雲の出身ということもあるのかもしれない。
米沢さんは、思考を丁寧に積み重ね、それを順追って語り、飛躍したり、根拠のない話をしたりはしない。すぐれた思想家がそうであるように、常に、借り物でない自らの思考を深めそれを借り物ではない自分の言葉に紡いでいく。その後ろに、妥協を許さない岡村の叱咤が聞こえてくるようである。

米沢慧さんは「AKIHIKO の会」を継続し、また全国各地でセミナーを開いている。私も米沢さんの著書を読み、話を聴く中で、九州、福岡で彼のセミナーを開き、直接、学ぶ機会を持ちたいと思っていた。自分自身が在宅ホスピスの経験の積み重ねの中で学んだことを、自分の思想として蓄積し同時に同じ志を持つ仲間と、米沢さんを囲む会を持ちたいと思った。「超高齢多死社会」とひとくくりにされる中で、一人ひとりのいのちにどう向き合うのか、認知症という医療では如何ともしがたい現状を在宅医として受けとめていきたいと思った。医師として、医療として、というよりも我々一人ひとりがそこにあるいのちとどう向き合うのか、自分自身の存在も含めて「いのちを受けとめる」とは……といったテーマが浮かび上がってきた。

福岡で「米沢慧 いのちを考える・いのちから考えるセミナー」が実現して6年、24回になる。そこは少人数の参加者が真剣に学ぶ場である。思想家としての米沢さんの言葉は一つの羅針盤だと思う。そして、気づきだと思う。「往きのいのち 還りのいのち」「いのちの深さ」「身寄りになる」「老揺(たゆたい)期」等など深い意味合いを感じる。私は在宅ケア、在宅ホスピスの現場での自分の体験を、米沢さんの言葉に重ね合わせて、自分のものにしていきたい。
年に4回のゼミを重ねてきてようやく、米沢さんの言葉を、ライブで聴ける本が出版される。第一冊目の「身寄り」。この言葉の意味を、ともに深く学び、実践の場に活かしていきたいと思う。(福岡市 にのさかクリニック院長)

※「いのちの受けとめ手」表現について
近著の『いのちを受けとめるかたち―身寄りになること』(木星舎)、及び別掲の共著『市民ホスピスへの道―いのちの受けとめ手になること』(春秋社)の主題は表題にあるように「いのちを受けとめる…」「いのちの受けとめ手」にあります。この概念は芹沢俊介著『家族という意志 ―よるべなき時代を生きる』(岩波新書 2012.4)から、ことに「いのちの存続を支え、保証する直接の担い手をいのちの『受けとめ手』と呼ぼう」(第2章「いのち」から考える)という一節に負っています。謝してここに明示させていただきます。
ちなみに、芹沢氏はその後編著者として上梓された『養育事典』(明石書店 2014.8)で「受けとめと受けとめ手」について次のように定義されています。
〈受けとめは養育の基本である。養育は受けとめから始まる。母子関係(対象関係)における母親(産みの母親)の子どもに対しとるべき基本的な姿勢及び対応を指している。とりわけ最早期においては、子どもの受けとめられ欲求(受けとめられたいという欲求)は待ったなしである。子どものこの待ったなしの受けとめられ欲求に、無条件に受けとめようとする姿勢でもって子どもに自己を差しだす人が受けとめ手である。その目的はいうまでもなく、子どもの安心と安定の環境と、そこに形成される子どもの自足的な存在感覚、すなわち「ある」の形成である。…〉

2015年9月4日金曜日

ナラティブホーム



「さようなら」「さらば」
私たちが親しんで使っている「別れことば」に「さようなら」があります。
ところが、国語辞典でしらべると、サヨウナラ(サラバ)は①元来、接続詞で「それならば」の意(広辞苑)、②語源「左様ならば(それでは)これにてごめん」(明鏡国語辞典)とあります。元来は、先行のことを受けて、後続のことが起こることを示す「左様ならば」「然らば」という意味の接続詞だった。それが別れことばとしていつの間にか独り歩きしていったというわけです。ですから「さようなら」を簡単に「グッドバイ」におきかえることはできないことになります。
ちなみに世界の「別れことば」には、①神のご加護を願うものとして「グッドバイ(Good-bye)」「アデューAdieu」など、②再会を願うものとして「シー・ユー・アゲインSee you again、再見サイチェン」など、そして③「お元気で」と願う「フェアウェルFarewel」「安寧(アンニョン)」などの三タイプに分けられる(竹内整一『やまと言葉で哲学する』春秋社)とありますが、「さようなら(さらば)」はどのタイプにも該当しません。はみ出しています。「さようなら」は、いのちことばかもしれません。

この「さようなら(さようであるならば)」が人生さいごのときに素直に言えたら、そして、その「さようなら」のことば受けて「さようであるならば」と同じように応えられるような力になれれば……。そんな絵図を描きながら高齢者介護や、終末期医療に足を踏みこんでいる医師がいました。チューリップの球根で知られる人口5万人ほどの富山県砺波市の佐藤伸彦さん。「ものがたりの郷」と名付けて、病院でも在宅でもない終末期の居場所を立ちあげています。
「ものがたりの郷」について佐藤医師はこう言い切ります。
――ここでは「ものがたられるいのち」が主役になります。
老いるとは、いままでできていたことが少しずつできなくなることです。病いや障害は重度になってくるとからだが思うようにならなくなってきます。その事態をどれだけきちんと「さようなら(さようであるか、さようであるならば)」といえるのかということが、老いを生きていくうえで大切なことです。「命」には終わりがやってきます。けれど、一人の人間の人生として、ものがたられる「いのち」があることを、いまは是非知ってほしい。ものがたられる「いのち」「さようなら」に私たち医療者も「さようなら(そうであるならば)」と受けとめ支えたい。高齢者医療は敗者処理の医療ではありません。人が、人として人間の最期の生を援助する専門医療です(『ナラティブホームの物語』医学書院)。

※「ものがたりの郷(さと)」は家族も自由に寝泊まりできる病室でもなく施設でもない。ものがたり診療所に隣接した平屋建ての賃貸アパートの15室。洋室9畳にキッチン・バスつきの約25平方メートル(家賃5万円の他介護・医療保険の自己負担と食事代等の目安で月額1318万円相当)。その大きな役割を担うのが佐藤さんが理事長の医療法人社団「ナラティブホーム」(ものがたり診療所・ものがたり訪問看護ステーション・ものがたりホームヘルパーステーション・ものがたり居宅介護支援ステーションの4事業)。スタッフは常勤医2名、非常勤医1名。看護師9名、介護福祉士8名等全26名に診療補助犬一匹。事業室は共同であり情報交換も密に行われ24時間365日対応である。

「カルテ」から「ナラティブシート」へ
「ものがたりの郷」の入居者は重度の認知症の人やがん末期の人にかぎりません。病院で治療の手だてがなく退院をうながされた人、高度医療が必要で介護施設にいられない人、脳梗塞などで寝たきりだが在宅では難しいといった人たちです。そんな人たちには、カルテにかわってナラティブシートが用意されています。患者のナラティブ(ものがたり)が日録として採用されています。
カルテはドイツ語、日本語では診療録。医師法では患者の診察をした際にその経過をのこすことが義務づけられています。簡略化した例をあげてみると、{・喉が痛い、咳が出る。体温380度、咽頭の発赤、扁桃腺の腫大あり。白血球数高値。―扁桃腺炎。―抗生剤投与、安静}です。看護記録でいえば、食事に排泄。食べて出すという人間の基本的な行動の記録がならぶことになります。それではものがたられる「いのち」の記録にならない。そこで患者Aさんの姿はナラティブ(物語り)やスタッフとの会話を日記のように、語り継ぐように忠実に記録されるのです。たとえば、認知症の人とのある日の会話から。
―誕生日。いくつになりましたか。
「わからん」
86歳ですよ。
「ほんまけ。いい年やね。満で88やろ。数えで百や。百まで生きなん!」
佐藤さんは「認知症の人は、その関係性が切れないように必死に自分のアイデンティティにしがみついているようにみえる」といいます。いのちは質だけを問うてはいけないのです。不可避としての「さようなら(そうならなければならないならば)」を前にしても、なお、いのちには深さがあるということです。

取材に伺った日(5月3日)、日当たりの良い部屋で、2年ちかく眠り続けているという80代の女性に会いました。「この部屋はサンクチュアリ(聖域)」と佐藤さんはつぶやき、わたしはその温かいからだに手を添えさせていただきました。