この夏『母の身終い』というフランス映画(2012)を観ました。「母の身終い」と読ませています。この表現につまずきました。辞書に収まっているのは身仕舞い。身なりをつくろい整えることです。仕舞うは了う、かたをつける、終わりにすること。そのニュアンスを身終いという当て字に込めたというのでしょうか。
そのまえに「身終い」の身です。白川静の『文字講話Ⅰ』によれば「身」は人の字形に腹部を大きくそえた形で「身む」と読むのが原義、妊娠の意とあります。身籠もる、身重に身二つ…。身はいのち、文字通り“いのちことば”の源であり、“からだことば”の柱を指しています。そうだとするなら、身仕舞いから「身終い」へ。身(いのち)はただならぬ方角に舵をきったかのようにみえます。
さて、映画『母の身終い』の筋ばれは控えたいですが、ひと言でいえば、50年近く連れ添った夫が先立って後、独り息子のトラックの運転手とも同居せずに一人暮らしをしてきた母の人生最期の身支度が主題ということです。がん治療をしながら働いてきた母が、治癒が望めなくなった段階で予後の終末ケア(緩和ケア・ホスピス)を退けて、合法的な自殺幇助による安楽死を選択し自らの意思で最期を迎えるというはなしです。
ここで「安楽死」という日本語は英語のeuthanasiaの翻訳で、語源は「良き死」を意味するギリシャ語に由来しています。今日、致死薬等を処方して自死を助ける医療行為としての安楽死は、オランダ、ベルギーなどでは合法化され一般化しており、オランダでは年間3千件以上の事例があるといわれています。ところが、フランスでは安楽死は認められていません。そこで映画「母の身終い」は隣国スイスの安楽死を支援する福祉団体との契約に委ねられることになります。
けれど、スイスでも安楽死は認められていません。医師が処方した致死薬を患者自ら服用する手助けについては認めるという自殺幇助です。この法律は世界で最も古く(1942年)、自国民だけではなく外国人の自殺幇助まで可能にしています。映画で垣間見た安楽死に対する肯定観は「あなたは心から“自己救済”の選択をする意思がありますか」(字幕)という問い方にあったようにおもいます。また、自殺幇助当日、福祉団体の責任者が「あなたの人生は幸せでしたか」という問いかけに「人生は人生ですから」という母親の応え方にみえました。
はたして安楽死は身終いということばに置きかえられるでしょうか。結論は急がないようにしましょう。