2017年10月10日火曜日

人生の午後

「人生、古来稀れ」というので70歳を古稀というが、100歳以上の超寿者はすでに6万人を超えている。100歳の人生設計を描くことが切実な時代に入った。その道標をいち早く示し自らがモデルとなった人が日野原重明さんだった。
この夏日野原さんは105歳でなくなったが、『生きていくあなたへ』(幻冬舎)という形でメッセージが遺されていた。全編が珠玉の語りことばで埋まっているが、その中からこころに留めたフレーズを引き合いにして、100歳人生を描いてみる。

〈人生の午後をどう生きるか。
 選ぶ物差し、価値観が必要で、自分の羅針盤を
 もたなくてはばらない。
 午後は午前より長いから。〉
ここで、老年期は「人生の午後」と規定され、青年期や成人期の羅針盤は役には立たないと明言されている。「人生の午後」は長いのである。
2000年、介護保険制度が誕生した年に、日野原さんは自身の90歳を記念して『生きかた上手』を出版し、総計120万部を超える売れ行きとなった。
そのテーマは「わたしは老人と呼ばれたい。それも新老人と」。あのとき、すでに「人生の午後」を生きる心構えが述べられ、人生の午後を生きる「新老人の会」も準備されていたのだった。「新老人」とは単なる元気な老人のことではない。「次の世代、若い人に、いつか来る人生の午後をいきる(新老人の)モデルになる」生き方が求められたのだった(『いのちを語る』)。
会のスローガンは、①愛すること、②創(はじ)めること、③耐えること。
なかでも、②の創めるとは、いくつになっても「(なにかを)創めること」を忘れない。新老人の規範そのものといっていいだろう。③の「耐えること」は人生の午後の生き方が問われるものだった。「耐える」という経験こそ、人としての感性が磨かれ、不幸な人への共感と支えることができる力が備わるのだとされた。
かくして「新老人の会」は75歳以上をシニア会員、60歳以上をジュニア会員、20歳以上をサポート会員として、10年後(日野原さん100歳のとき)会員数は10万人に達したのだった。

〈人は傷を与えたことは忘れるが、
 人から受けた傷や攻撃はどうしても忘れられない。
 それは人を恕せない人間の愚かさのためなのだ。〉
日野原さんは子どものころから体は弱かった。日米戦争中、空襲下の東京で聖路加国際病院の内科医として患者の治療や火傷者の救済にあたった。1970年には「よど号」ハイジャック事件で4日間の機内監禁後に100名の乗客とともに奇跡的に空港に降り立った。
「私は足の裏にこの地球に無事帰ったことを感じた瞬間、私の命が与えられたのだと直感しました」。同時に「私は自分が生きているのではなく、生かされていることに感謝しました」。そして「妻と一緒に泣きながら、これから自分の命を人のために使おう」と決心した。それが人生の支えになった。
日野原さんの医療者としての業績では、1996年のオーム真理教の地下鉄サリン事件では中毒患者640人を聖路加国際病院に入院させて1人の死亡者以外の患者を助けたことで知られるが、医療行政への視点からは、まだ緩和ケアとかホスピスという用語も取り組みもない時代に「延命の医学から生命(いのち)を与えるケアへ」と題した講演(日本死の臨床研究会1980年)は画期的なものだった。身近な病気の話では、高血圧・がん・糖尿病等の「成人病」から「生活習慣病」命名(1996年)への尽力があげられる。
「私の朝の食事はコーヒーとジュースだけ。元気というのはあくまで気がもたらすもので、カロリーではありません。昼も牛乳一本とクッキーですませることがほとんどです。まるで水分だけで私は生きているようです」。
これは臨床医のことばではない。医師であるまえに独自な生き方と個性がつたわってくる新老人の生き方であり、この生活意思はさいごまで貫かれた。

  〈最近僕は、「運動不足」より「感動不足」のほうが
深刻なのではないかと感じています。
だから、あなたとも一緒に心を躍動させて、感動の気持ちを
分かち合いたいなとおもいます。〉

 日野原さんとは、一度講演会(生と死を考える会・全国大会in横浜2008)の末席でご一緒したことがあった。舞台の袖から登壇されると会場から拍手と小さなどよめきがおこったことが思い出される。
『生きていくあなたへ』を読んで、こころが揺れ動いた箇所があった。それはお医者さん志望の動機にふれた幼少期のエピソードだった。
7歳のとき、お母さんが危篤になり、お医者さん(安永謙逸先生)が看るためにやってきた。そのとき必死に祈った。けれど、祈ったのは「お母さんを助けてください」ではなかった。「いまおもうと不思議ですが、どうか神様、母を救おうとしている安永先生を助けてください」と祈った。すると奇跡は起きた。お母さんは命をとり留めた。そして少年は医師を目指したのだった。