2016年4月9日土曜日

地べたからの介護 -お世話宅配便


佐賀県唐津市に介護福祉サービスの草分け的存在として知られる「お世話宅配便」(代表・吉井栄子)がある。1989年、当時歯科衛生士だった30歳代の吉井栄子さんが保健師、看護師の資格をもっていた主婦6人でスタートし、介護保険法制定前(1995年)に「有限会社 在宅介護 お世話宅配便」となった。20年後の現在は在宅介護支援センター、訪問介護サービス、訪問看護、重度訪問介護(障がい者総合支援)、小規模多機能型居宅介護事業所、デイサービス、グループホーム、宅老所、有料老人ホーム、さらには移送サービス、障がい者就労支援に保育所まで。多彩な福祉業務を笑顔の絶えないスタッフ社員200人が働く組織になっている。
その先見性は「私がやりたかったのは、有料の介護サービス」という起業意志そのままに「有限会社 在宅介護 お世話宅配便」http://www.osewa.co.jp)と命名したところにあった。

三方よし
当時の高齢者介護といえば家族問題であり、重度な家内労働だった。一人で食事ができない、お風呂に入れない、おしっこうんちができない。そんな老親の介護をだれが外部に頼もうとするだろうか。そこに着目したのだ。
「ほんとうに必要な時間に必要な手になりたい」
当初は2時間2000円。高いといわれたこともある。
けれど、お世話する・されるという後ろめたさは介護サービスを「商品」にすることで介護を受ける人は「お客様」になり、家族は介護労働から解放された。当人からも家族からも安心と喜びの声が届けられると、「在宅介護」の宅配便活動は着実に地域共生の環境づくりへの道を拓くことになった。その際吉井さんのアタマにあったのは自分よし、相手よし、第三者よしの「三方よし」という人間学だった。旧くは近江商人の経済道徳として知られていたことばだが、売る側も買う側も、その周辺の第三者も皆が同時に利益と幸福が得られる道を拓いていくというものだ。介護する人・される人の関係ではなく、家族やお世話する周辺が「三方よし(世話ぁない)」のかたちになっていくことだ。それがケアの社会化や地域の福祉をうながす道を拓くことになった。
20年を超える「三方よし」の姿勢は、活動分野の呼称・表現にもあらわれている。たとえばデイサービスは「お茶しましょ」、グループホームは「お茶ばたけ」、宅老所は「まんてん茶屋」、訪問看護サービスは「行かなくっ茶」。お茶の産地を背景にしても行政用語でくくられることはない。小規模多機能型居宅介護は「ひとりじゃないよ」だったり、介護タクシーも「おせわさん」、当初はスタッフの子ども保育から始まった「子ども塾」も定着し、いまでは幼老共生の環境づくりが整うまでになり、他の介護法人とは一線を画すユニークな業務の拡大へとつながっている。

地べたからの介護
「お世話宅配便」にはもう一つ特筆することがある。デイサービス「お茶しましょ」のロビーに「ここは地べたからの介護です」という掲示板がある。
この施設には車椅子や廊下に手すりはない。スタッフの温かい手で支える手引き介助、いざり移動、四つん這い移動が原則になっている。これを「地べたからの介護」と呼び、高齢者が自分の手足で床や壁の感触をしっかり確かめながら、おもいおもいの生活リハビリが実践されていた。特徴を整理してみる。
・椅子や、テーブルの代わりに座布団、ちゃぶ台・掘りごたつを置くこと
・階段や浴室、トイレなど必要最小限の場所以外は、手すりはなくすこと
・自分の手足で感触をたしかめるためスリッパや上靴は履かないこと
床に直にすわり、背もたれのない状態ですごすなど、あえて地べたでの動作環境をつくりだすことで、自然と腹筋・背筋の訓練や姿勢の矯正が行える。それを手引きし見守るのが笑顔をたやさないスタッフだ。床の上を素足で直接歩くことで足のむくみが軽減したり、触覚による危険察知能力の向上もはかれるなどの効果もあらわれ、要介護度が低くなった人も出てきているという。

「至れりつくせりの介護をして、お客様を車椅子に乗せてどこかへお連れするという情景は優しく美しく見えるかもしれません。杖をついてたどたどしく歩かれているお客様の姿を見て、車椅子に乗せてあげればいいのに、と思う方もいるでしょう。でもそれは違うんです」と吉井さんはいう。
「歩くということは、人間の大事な機能の一つで、歩けるうちは歩いていただかないと本当に歩けなくなってしまいます。排泄も入浴もしてもらうには、まず立てなければ」
このことばには、たんなる老化にともなう廃用性症候群(生活不活発病)の予防対策、機能回復訓練の必要性として語られてはいない。事実、私が訪ねた日、いざり移動・四つんばい移動をくり返す人たちのすがたとスタッフの立ち居から見えたのは、そうした動物性器官への刺激や訓練というより、もっといのちの琴線にはたらきかけたリハビリに見えた。

ヒトが立ち上がるということはどういうことか?
からだことばの専門家であった演出家竹内敏晴は「サカナが陸に這いあがって両生類になり、爬虫類、哺乳類へと生きものはしだいに頭を、ついで胴体を大地から引きはがして天へ天へと伸び上がってきた。そしてヒトは四本足からしだいに頭をもたげ、前足を浮かばせて後ろ足二本で立ち上がった。ということは、一本の足にからだの重さをすべてゆだね、もう一本の足を前へ振り出すというまことに不安定な姿で歩み始めたということだ。…それが赤ん坊が手足を踏んばり立ち上がる力であり、伸びる力、生きる力、〈いのち〉ということになる」(『教師のためのからだとことば考』)と述べている。
あらためてリハビリテーションとは、はいはいからいざり、やがて立ちあがって一歩を踏み出していった揺籃期のすがたへの思いであり、さらには胎児の世界で培った生命記憶への呼びかけにちがいないとおもえた。それは 自尊の感情と〈いのち〉の営みがひとつになっている光景だったのだ。