2017年4月13日木曜日

〈かけはし〉という夢


豊橋市(愛知県)で介護福祉タクシー開業20年になる株式会社かけはしの山田和男(69歳)さんのホスピス運動を紹介してみよう。
福祉タクシーといえば、病気の人、障がいのある人、介護が必要な高齢者を送り迎えするのが仕事。東三河(豊橋市、田原市など8市町村、約75万人)なら、いつでもどこへも24時間の対応。現在スタッフは3人、4台の車両。車は地域で唯一、医師や看護師が同乗して使用できる人工呼吸器や痰吸引器等を備えた大型車で、ストレッチャー(車輪付きベッド)の重篤患者を搬送する機会が増えている。去年1年間の利用者数は千人を超える。病院から自宅へ、A病院からB病院へ、自宅から施設へ。施設から病院へ…。「それだけではありませんよ」と山田さんは、孫の結婚式や、コンサート会場への送迎なども話題にし、九州まで「さいごの旅に」を伴走した家族の愉しいエピソードも。そして、昨年9月、山田さんは「東三河をホスピスの街にしたい」という願いから「かけはしの会」を立ちあげた。

山田さんをホスピスへとかりたてたおもいは「かけはし」にあった。
50歳になったら、社会に恩返しをしたい」とNPO活動として始めた搬送サービスだったが、それには妻かつ子さんが命名した「かけはし」への願いとともにあった。
2009年、最愛の妻であり仕事の右腕もあったかつ子さんが5年の闘病のすえ乳がんで亡くった。その時に豊橋医療センター(国立病院機構)で佐藤健医師からていねいな緩和ケアを受け、ホスピス運動に出会い、様々な勉強会にも参加するようになった。そして、搬送では末期がんや老揺期の重篤な病で死を目前にし苦しみを抱えた家族の姿が目につくようになっていた。

病院へ向かう車内では「あの病院へはいきたくない」といった呟きがもれたりする。おもわず「先生も看護師さんも、よろこんで迎えていただけますよ」と口にしたりすることがある。退院の日の病室では不安な表情だった患者が自宅に近づくにしたがって穏やかになり「ありがとう」と声をかけられることもある。こんなとき、「死を待つひとの家」を開設したマザー・テレサの「人生の99%が不幸だったとしても、さいごの1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものにかわる」という言葉に出合った。そして「残りの人生、この仕事を通して、いのちのかけはしができないだろうか」。
そこで刺激を受けたのが『病院で死ぬのはもったいない―〈いのち〉を受けとめる新しい町へ』という、二人の在宅医山崎章郎、二ノ坂保喜と米沢慧が立ちあげた「3人の会」(2012年7月結成)の「市民ホスピスへの道」という運動だった。

東三河でうまれ育ち暮らし、亡くなるときに良かったなとおもう街にしたい。
山田さんがそんな思いを駆り立てることになったのは、早い時期に『ホスピス』を翻訳(1981年)紹介した岡村昭彦が、雑誌記者の「ホスピスは日本に根づきますか」という質問に「ホスピスとは医療施設ではありません。いのちの運動なのだということをまず認識してほしい」と釘をさした上で、次の6項目を挙げていたことだった。
1 地域社会との結びつきがないホスピスはホスピス精神に反して、がん病棟になってしまう。
2 コミュニティのなかで、生命の質を高める生活をしながら「死にゆく人」を中心にケアしようというのがホスピス運動。
3 ホスピス運動は、携わる人のすべてが平等・対等でないとうまくいかない。
4 ホスピス運動は、自分の住んでいる地域の課題から手をつけるべきだ。
5 ホスピス運動は、地域社会のなかで1人1人が参加できるボランティア活動。まず自分ができること(話し相手になること、手を握ってあげることなど)を登録することからはじまる。
6 ホスピス活動は、死んでいく人の世話を通して死にゆく人から学ぶこと。

これらに照らしてあらためてホスピスが「根づいた」とだれが言えるだろうか。
近年は「地域包括ケアシステム」といった行政からの要請に急かされている。そうなら、この6項目を元手に、地域でその人らしくいのちを全うできる街づくりを市民の課題にして行動するべきではないのか。かくして山田和男さんは「かけはしの会」を設立した。スローガンは「東三河をホスピスの街へ」。そしてスタートしたのが、いのちを考える巡回セミナー(隔月)。すでに豊橋市、田原市、新城市などで始まっている。その任に就いたのがわたし、米沢慧。(※kakehashinokai.jimdo.com

これまで「いのちを受けとめる郷へ」「いのちを伴走するケアのかたち」「病院化社会をいきること」「病院・病棟はだれのためのものか」などのテーマで2時間。さいわい毎回20~40人と盛況。がん末期の人などが空き家を利用して暮らす「ホームホスピス」を目指している人もいるが、社会福祉士、介護福祉士に訪問ボランティアナース、ソーシャルワーカー、薬剤師に鍼灸師等の肩書きにこだわることなく、「かけはし」を思い描いているところだ。