2018年4月10日火曜日

介抱と看病 ~漱石の時代の看護



夏目漱石没後100年(平成28年)と、生誕150年(平成29年)を記念した「漱石と子規-友情の足跡」展を新築の漱石山房記念館(都内新宿区早稲田南町)でみる機会があった。
夏目漱石と正岡子規は大政奉還の年(慶応3年 1867年)生まれ。さしずめ明治一五〇年ともかさなる。東京生まれの漱石は若い頃は煉瓦造りの西洋建築に魅せられ建築家を志し、四国松山出身の子規は当時盛んだった自由民権運動の影響を受け政治家を志して上京した。そんな二人が出会い、互いに切磋琢磨しながら近代文学に大きな足跡を残すことになるが、もう一つ“人生50年”時代の生き死に(明治期の平均寿命は42歳)に正面から取り組んだ二人の物語としてとらえる視点があることに気づいた。

子規は、29歳で脊錐カリエスと診断され、その後は「牀六尺180センチ)」を「我が世界」にして生き35歳で逝った。この病床でさえ広過ぎる。「僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。…苦痛、煩悶、号泣に麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪るはかなさ」と記して叫ぶ。
 秋の蠅追へばまた来る叩けば死ぬ
 活きた目をつつきに来るか蠅の声
この日々のつらさから、「精神的と形式的」の介抱・看病論を述べている。「精神的の介抱といふのは看護人が同情を以て病人を介抱する事である。形式的の介抱といふのは病人をうまく取扱ふ事で、例へば薬を飲ませるとか繃帯を取替へるとか、背をさするとか、足を按摩するとか、着物や蒲団の工合を善く直してやるとか、そのほか浣腸沐浴は言ふまでもなく、始終病人の身体の心持よきやうに傍から注意してやる事。食事の献立などをうまくして病人を喜ばせるなども必要なる一カ条である」。(「病牀六尺」六十九)
ちなみに病院で修業する看護婦は医師の助手のようなもので病気の介抱には役にたたないとしている。そして絶命12時間前に筆記されたという絶筆の3句をあげておく。
 糸瓜(へちま)咲いて痰のつまりし仏かな
 痰一斗糸瓜の水も間に合はず
 をととひのへちまの水も取らざりき

一方、子どものころから病と慣れ親しんできた漱石は、43歳のおり胃潰瘍で入院した後、療養先の温泉宿で「修善寺の大患」と呼ばれる吐血体験を「30分の死」と名付け、そこから「則天去私」(私情を捨て去って天の心にしたがう)へと舵をきったといわれている。その契機となった一端は医師や看護婦の介抱・看病の所作に“好意”を観たことも大きかったのではないか。
 「看護婦は五十グラムの粥をコップの中に入れて、それを鯛味噌と混ぜ合わして、一匙ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀の子か烏の子のような心持がした。医師は病の遠ざかるに連れて、ほとんど五日目ぐらいごとに、余のために食事の献立表を作った。ある時は三通りも四通りも作って、それを比較して一番病人に好さそうなものを撰んで、あとはそれぎり反故にした」(『思い出す事など』)。
 「医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事はもちろんである。彼等をもって、単に金銭を得るが故に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実も葢もない話である。けれども彼等の義務の中に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から透かして見たら、彼等の所作がどれほど尊とくなるか分らない。病人は彼等のもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである」(同前)と。
漱石はその後も何度か入院生活をしながら医師や看護婦観察を忘れず、『行人』『それから』などに体験エピソードを盛り込んでいる。漱石山房で息をひきとったのは四九歳。二人はそれぞれの人生を生ききった。

関連してもう一つ。漱石が入院したとき見舞いに来たひとりに石川啄木(1886-1912)がいる。啄木は、漱石の「修善寺の大患」の翌年、東京大学付属病院に施療患者として入院している。病名は腹膜炎。40日間の入院中に作歌したものは多い(『悲しき玩具』)が、病院詠の冒頭に載っているのが次の歌である。
 重い荷を下ろしたやうな
 気持なりき、
 この寝台の上に来ていねしとき。

 病院に来て、
 妻や子をいつくしむ
 まことの我にかへりけるかな。
入院となれば憂鬱で嫌なはずだが、病の身をあずける室を得た啄木は「重い荷を下ろ したやうな気持」だという。その一方で、日ごろは家族への思いなど考えることもないのに、家にいる妻や子がいとおしく思えてくるという。けれど、ここが介抱・看病・看護という「好意」に身をゆだねる室であったわけでもなかったのだ。

 話しかけて返事のなさに
 よく見れば、
 泣いてゐたりき、隣りの患者。

 夜おそく何処やらの室の騒がしさは
 人の死にたらむと、
 息をひそむる。
          (『看護師のための明治文学』9月刊へのメッセージ)

2018年1月14日日曜日

創めること。無事であること  -「老齢」を寿ぐ


 師走に飛び込んでくる喪中はがき、年明けにやってくる年賀状。前者は身近な人の消息が伝えられ、「年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます」。後者は、謹賀新年、迎春。「おめでとう。ご健康を祈ります」。こんなかたちでいつもの年越しバトン・リレーが続いている。
 ところが、私も75歳、れっきとした高齢者の一人。届く喪中はがきは年々増えて今年、数えてみたら14通も。「母、享年102歳」「父98歳」等の記述にはもう驚かないが、同世代からは「妻」や「夫」、兄妹の死が伝えられるようになった。また、賀状にも「92歳を前にして夫と老人ホームに居を移し終の住処とします」という転居通知を兼ねたものから、「高齢になり本年をもちまして新年のご挨拶を失礼させていただきます」の類も。それぞれに、身終いの気配が漂っている。
 ちなみに、わたしが賀状に記したメッセージは、亡き愛犬ロッシュの穏やかな涙目写真に「2018年。ご無事で」というものだった。

●創めること
 そんな年明けに小冊子『老老介護「いろは歌」』(私家版)が届いた。長野県諏訪市の平林英也さん(82歳)からの贈り物だった。20年ほど続けている諏訪湖半での「いのちのセミナー」に通っている方の、故人となった妻はるよさんとの晩年の交歓絵本。かつては優秀な精神科ナースだったという愛妻の認知症発症後の老老介護の日々(89歳没)が「いろは歌」の形式で遺されたのだった。

 「い」一日の始まりは、挨拶から
 夫「おはようございます」
 妻「今日はよろしくお願いします」
 この挨拶に続いて「夫婦の生年月日」「結婚記念日」に「住所」を毎朝、家内に言わせます。それは「今日」もいのちを与えられ、生きていることの証を、少しでも味わってほしかったためです。家内は、朝の挨拶のとき、よく言いました。
 「お互いに、どこも悪いところがなくて、よかったね」
 このことばを口にする家内は、幸せそのものでした。
 二人の気持ちがひとつになり、
 〈You are My Sunshine」をよく歌いました。

 綴られているのは、介護のつらさではない。「礼を言う妻のこころは、感謝の泉」とか「ゆ -豊かなこころは、忘却から」をあげてもいい。平林さんはいう。「わたしは、老老介護こそ〈新老人〉の生き方だとおもってやり遂げました」。どういうことだろうか。
〈新老人〉とは「次の世代若い人に、いつか来る人生の午後(老年期)のモデルになる」生き方が求められていた。105歳で亡くなった日野原重明さんが立ち上げた「新老人の会」の活動理念だった。
具体的なスローガンは、①愛し愛されること、②創(はじ)めること、③耐えること。なかでも、②は、何歳になっても「(なにかを)創めること」を忘れないこと。③の「耐えること」は人生の生き方が問われるもの。「耐える」という経験によって感性が磨かれ、不幸な人への共感と支える力が備わる。「新老人の会」は75歳以上をシニア会員、60歳以上をジュニア会員、20歳以上をサポート会員として、10年後(日野原さん100歳のとき)には10万人に達した。
平林さんは、この三つのスローガンに老老介護の原点を求めたのだった。とくに世間では否定的にとらえられる老老介護を「創める」ことは老人の「新しい生き方」に導くものにちがいない。それが〈新老人〉の生き方だ。「始まる」ではなく「創める」ということばに励まされて「いろは歌」が誕生したのである。

 ●無事であること
 ところで、私の賀状メッセージ「ご無事で」には、松飾りが街から消えたころ瀬戸内の島に住むK女がメールで応えてくれた。高校時代のクラスメートで、若いころから病いと戯れ、宥めてきたひとだ。
「ご無事で新年を迎えられた由。うれしくおもいます。この歳になると流石に次々といろんな事がありました。身内の死去や病気や怪我に心休まりません。7〜8月に危険な肺炎にかかり命の駆け引きをしましたが、相変わらず持ち前のしぶとさで復活しました。今は腰の問題を抱え年末にMRIをして一ヶ月ほど。…でもね、呑気に笑って本を読んでのおばあさん暮らしは少し早い。(笑)
 毎日家の周りにくる野鳥に癒されています。デッキにヤマガラ・シジュウガラ・メジロ・シロハラ・ツグミ・ヒヨドリ・ジョウビタキ・イソヒヨドリが常時きて賑やかです。トラツグミも姿を見せラッキーでした。ぶとカラス・ほそカラスや雀の群れもホオジロも来ています。
 今年はキジバトが玄関前の大きなトネリコの木に二度営巣し、見守るうち雛鳥の姿も見ましたが、周辺に居続けるハシブトカラスに襲われたらしく、巣立ちまでを見届けることは出来ませんでした。これは悲しい出来事の一つでした。まずは呑気な鳥談義でご挨拶を 又」

 「無事」はいのちの現在。老いにはかけがえのない力を誘うものなのである。無事の一年を祈ろう。