フランスに端を発したケア・メソッド「ユマニチュード」は、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの二人が35年かけて作り上げた認知症の人に対するトータルケアとして知られている。一般には①見る、②話す、③触れる、そして④立つ。この4つを柱とする技法とされ、これまでテレビ映像を始め専門誌の特集等で広く紹介され、病院や介護施設にも根をおろしてきている。
「ユマニチュード」研修に参加した知人に聞くと「看護技術というより、人として向き合う力をもらいました」といい、「だれでも(あなたも)〈世話する人〉になれるとおもいます」という答えがかえってきた。
「Humanitude ユマニチュード」とは、英語のHuman/ヒューマン(人間らしい)と-tude(状態、性質)あるいはAttitude(態度)を重ねた造語で“人間らしさを取りもどす”とか“人間の尊厳の回復”という意味がこめられた思想概念として提示されている。「ユマニチュード」の同伴者である本田美和子医師は、「さまざまな機能が低下しして他の人に依存しなければならない状況になっても最期の日まで尊厳をもって暮らし続けることができるように支える態度」だという。
原著『Humanitude ユマニチュード』(イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ本田美和子 辻谷真一郎訳 トライアスト東京)は「人間とは何か―」、この問いかけからはじまっている。
「1799年の終わりごろ、アヴェロン村近くの森のはずれでのことだった。猟師の一団が奇妙な動きをして自分たちを避けようとする生きものの姿を認めた。…四つ足で歩き、どんぐりや木の根や草を口にし、顔に表情はなく、ことばを話さず、近づくと向かってくる…。」
18世紀末のフランス革命の後、ヴィクトルと呼ばれることになる8、9歳の野生児発見とその捕獲扱いに「ユマニチュード」の原点を置いている。
ヴィクトルは直立歩行と言語の発達がまったくみられなかったがゆえに檻に入れられ、観察が続けられ四〇歳頃まで生きたが、「理性も社会性もなく獣性以外いかなる属性も見いだせない」として、人間に値しない生物種(『哺乳類』ヒト科の生きもの)という扱いに終始した。「精神障害や認知記憶障害のある者もまた、理性や自制心、自律心の高さを基盤とする人間の尊厳という名の下に人間の名に値しないと判断され、時には生きるに値しないと判断されてきた」と記して立ち位置を鮮明にしている。
イヴ・ジネスト氏はいう。「病状がどうあろうとも、最期まで人間として感じていられるように、私たちは、ユマニチュードを用いてその絆を再び確立します。これは、相手を人間として認識する哲学なのです」と。
ちなみに「アヴェロンの野生児の感覚器官の機能発達」(『アヴェロンの野生児』J.M.G.イタール 中野善達・松田清訳 福村出版)によれば「感覚器官のうちで文明度が顕著にあがったのは味覚の感覚だった」とある。ジネスト氏も認知記憶障害の人がさいごまで強く残る感受性は味覚、スパイスが大事だと語っていた。
では、認知記憶障害のある高齢者の人を前にして、先の四つの柱によるユマニチュードに基づいて、〈世話するヒト〉になってみよう。
1 見つめる (愛の表現)
・見ないことは「あなたは存在しない」と告げること
・水平に見つめる →平等な関係を伝える
・正面から見る →正直である
・近くから見つめる →やさしさ、親密さ
・長く見つめる →あたたかさ
2 話しかける (トーンをやさしく)
・沈黙のケア現場に言葉をあふれさせる(オートフィートバック)
・「手をあげてください(3秒待つ)いま、背中を拭いていますよ
…あたたかいですね …きれいになってきもちいいですね」
3 触れる (優しさを相手に伝える)
・体に触れることは脳にふれること
・「ひろく、やわらかく、ゆっくり、なでるように、包み込むように…」
・触れることは自由をもたらす
4 立つ (知性の根幹、人間であること)
・1日に合計20分間立つことができれば、寝たきりになることはない。
・人は死を迎える日まで、立つことができる。
・身体整容や清拭を1日30分立った状態ですれば寝たきりにならない
あらためて、「介護するということは目を見つめて話しかけ、眼差しとことばによって、あらゆるものを失った人たちの揺るぎない主権を認識することである」。
触れるということは、相手を生かすことができるものでもあれば、ほとんど悪意のないまま殺すことができるものでもあること。けれど介護をするために相手に触れる。この避けられない馴れ馴れしい行為を、しこりを残すことなく受け入れてもらえるようになるには、並はずれた技量と繊細な配慮がなければならないだろう。