2019年7月11日木曜日

「いのち」の位相をひもとく

 ─病院医療から地域包括ケアへ

 少子高齢化社会の真っ只中で元号が「平成」から「令和」に代わった。この間、わが国の医療水準・介護水準・栄養水準・衛生水準等どれをとっても飛躍的に高くなったことだけは疑えないだろう。
 では、「いのち」の位相はどう変化したのだろうか。
 私が引き出した視点は長寿社会の分岐点となる介護保険法の施行(2000年)である。ここから「病院の世紀から地域包括ケアへ」という汽水域に入ったのではないか。そこから、「いのち」の位相を繙いておく。

 ▶いのちの社会学
 ①『病院の世紀の理論』 猪飼周平 有斐閣(2010
 20世紀の医療は治療医学として病院を中核として診療所との二元的な医療システムで繁栄してきた。「3時間待って3分間医療」と揶揄される一方で「病院死」は1976年に「在宅死」を抜いて「病院で生まれ病院で死ぬ」社会が定着し、そのまま「予防・治療・福祉」を包括した地域ケアに向かったとされる。他に『日本の医療 制度と医療』島崎謙治・東大出版会(2011

 ②『ケアの社会学 ─当事者主権の福祉社会学へ』 上野千鶴子 太田出版(2011
 急所は「ケアをすること、ケアをされること」にふれた4つの権利(ケアする権利、ケアされる権利、ケアを強制されない権利、(不適切な)ケアされることを強制されない権利)。「よいケア」とはケアされる者とケアをする者双方の満足を含まなければいけない。また、介護保険制度は、ケアワークが「不払い労働から支払い労働になった」ことを画期的な成果の一つとし、さらに次世代福祉社会の構想にもふれている。
 関連しては大熊由紀子『物語 介護保険(上下)(岩波書店・2011)がある。因みに「介護」が国語辞典に登場するのは昭和53年(「広辞苑」)である。

 ③『ナラティブ・ベイスト・メディスン 編集 T・グリーンハル&B・ハーウィ ッツ 斎藤清二他訳 金剛出版(2001
 今日の医学は、エビデンス・ベイスト・メディスン(科学的根拠に基づいた医療)によって大きな成果をあげてきた。けれど、人はそれぞれ自分の「ナラティブ(物語り」を生きており、「病気」もまた、その人の物語の一部であること。そこに注目したもう一つの医療が「ナラティブ・ベイスト・メディスン」
 たとえば、治療が不可能な場合や高齢者のケアには、その人がどのような「物語」を生きようとするのか。患者は自分の病について物語るために医師のもとにやってくる。それに応え援助する「対話」が還りの医療や福祉介護に大きな道をひらいていったのである。

 ▶いのちの場所
 HUMANITUDE(ユマニチュード)』イヴ・ジネスト&マレスコッテ 本田美奈子監修 辻谷真一郎訳 トライアリスト東京(2014
 「ユマニチュード」とはフランス語で「人間らしさ」を意味する。本書は体育学を専攻した二人のフランス人による、認知症の人や高齢者など、ケアを必要とする人に向けたコミュニケーションの哲学であり、その技法を指している。具体的には「見る」「話す」「触れる」「立つ」という人間の特性に働きかけることでケアを受ける人に「自分が人間であること」「大切な存在であること」を伝える。わが国でも支持され広まったケアの技法の第一は「あなたに会いに来た」ことを示すことから始まる。その他、同著者による『「ユマニチュード」という革命』 誠文堂新光社(2016)がある。

 ⑤『「在宅ホスピス」という仕組み』 山崎章郎 新潮選書(2018
 平成2年(1990)、一般病院での悲惨な終末期医療の現状を訴え、ベストセラーとなった『病院で死ぬということ』(主婦の友社)から30年。ホスピス運動の旗を振り続けてきた著者の到達点。落ち着いた居場所は在宅診療専門診療所。年間100万人の介護者と150万人の病死者が日常となるという「2025年問題」を前にした、尊厳ある死を迎えるためのテキストといえる。
 関連して、都道府県別の老衰死率と在宅死率等の分析から捉えた『地域医療と暮らしのゆくえ』高山義浩 医学書院 2016)。さらに、地域共同体が崩れていく中で「看取り」の文化を継承する民家再生活動を立ち上げた女性たちの『ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方』市原美穂 木星舎 2011)をあげておきたい。
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 これらを「ひもとく」際に下支えしてくれた文献をここで補っておこう。『いのちとは何か 幸福ゲノム・病』本庶佑 岩波書店(2009)。『養育事典』芹沢俊介、山口康弘他編 明石書店(2014)。『中動態の世界』國分功一郎 医学書院(2017)。『バイオエシックス その継承と発展』丸山マサ美編 川島書店(2018)。そして『サピエンス全史』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社(2016)