昨年の師走を前にした令和元年11月30日は「人生会議」の日だった。「人生会議」とは、もしものときのために自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと話し合い、共有する取組のこと。人生100年時代の「(人生最終段階の)意思決定支援」を掲げたACP(advance care planning)運動の一環だったが、勧進元の厚労省が作成した「人生会議」PRポスター「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない。『人生会議しとこ』」は、公開と同時に患者団体や患者や家族を傷つける内容だったと謝罪して掲載を急ぎ停止した。たしかに街からは消えたがSNSに流れていった。
たしかに。「まてまてまて 僕の人生ここで終わり? 大事なこと何にもつたえてなかったわ」からはじまるメッセージは関西弁。わたしが訊ねたポスターの感想は一様に「キモチ ワリィ」の一言だった。悶え苦しむ末期患者の姿だけが際立っていて、終末期の意思決定支援のメッセージには見えない。芸能タレントを起用した関西の芸能プロダクションの制作で、廃棄したポスターの数は1万5千枚だったと聞いた。
けれど、「人生会議」に協賛した公開ポスターは他にも目にすることができた、ここからは私が目にした十数枚から、「人生会議の日」に思いを託した市民メッセージ(声)を書き写し紹介してみたい。
(B)「お年寄りの生き方に耳を傾けよう」(沖縄県)
沖縄県からのメッセージは「人生ゆんたく」。元気な高齢者の大笑い。「私達の生き方を聞いてもらおう」という。ちなみに「ゆんたく」とは「おしゃべり」、おはなし。
(C)「人生、最後のタバコの火をつけるのは介護職員」(民間介護施設)
タバコの好きな人だった。酸素も七リットルを超えていた。
お部屋で吸うことは禁止されていたけど、
最後のタバコに火をつけるのは介護職員。
家族からは最後の最後まで本人の希望を叶えてくれて、
ありがとうと感謝の言葉を頂いた。
じいちゃんの人生会議は見事に幕を閉じた。
(D)「言葉はなくとも囲んで話すと思いがみえてくる‥」
(笑顔の患者の子どもと女医の写真の周りにメッセージが添えられている)
彼女は「言葉」では何も話さない。彼女のしぐさと表情を、
彼女のことを大好きな人たちで、一生懸命受止めて、一生懸命考えて、
ひとつひとつ、丁寧に選んでいく。だから周りが勝手に決めたんじゃない、
彼女が決めてるんだ、と確認できる。これも「人生会議」のひとつのカタチ。
(E)「決めなくてもいいから、いっぱい話をしよう」(民間クリニック)
(父親の往年のライダー姿をバックに文章が書き込まれている)
「どこで死にたいか、病気になった時どうしたいか。そんな話ばかりしなくてもい。
何が好きか、何を大切にしているのか。決めなくてもいいから、いっぱい話をしよう。
47歳で見つかったステージ4の肺がん。根本的な治療は難しい段階だった。病気の苦しみは本人からも自分らしさを奪う。
大切にしていた娘のソフトボールの試合の応援。もう無理かな‥。
あなたを知るみんなと一緒に迷いながら選んで進む。体の調子だけをみていたら、行かないほうがいい。でも、彼らしさを共有したら、行かないのはありえない。
そう思えた。行けるさ、行こう。
家族一緒だった。たくさん話し、迷った先にみんなで出した答え。
4番ピッチャーの娘は大活躍。無失点でのコールド勝ち。ナイスピッチング!
勝利を喜ぶ笑顔と大きな声は病気の重さを少しも感じさせなかった。人はいつどんな時でも、誰かの力になれる。試合の翌日、自宅に戻り息を引き取った。旅立って5年、娘は地元開催の国体で県代表のエースになった。お父さんはきっと言ってくれるとおもう。ナイスピッチングって。
決めなくていいから、いっぱい話をしよう。こんなとき、私は、あの人はどんな選択をするだろう。」
*
これらは「人生最終段階の意思や責任」を取り込むつもりだった厚労省の企画をはるかに超えた、市民の真正でかつ正直な願いである。
「人生の最終段階の想いや願い」は、インフォームドコンセント(わたしは説明しました、あなたは説明を聞きました)といった臨床の場における責任や意思確認のことではない。 伝わってくるのは、人生最終段階の「いのち」の深さ、愛おしさであり、無条件で受けとめられる「ことば」にほかならない。これが厚労省のポスターを打ちのめした理由なのだ。