2015年5月12日火曜日

せわぁない(世話ぁない)


大河ドラマ「花燃ゆ」を観ながら、ほぼ毎回出くわしたセリフに「せわぁない」があります。とくに吉田松陰の母親である滝が口にします。松陰が脱藩や建白書、密航そして投獄といった破天荒な行動を続けるなかで、韻を押すかのように「せわぁない」ということばが笑みとともに飛び出す。その絶妙の間にはしばしば感服します。
「いいセリフだなあ」とおもいます。人のふるまいと場面がこの一言で和むのです。
「せわぁない」は、「気にかけなくていい、心配はいらない」あるいは「大丈夫、大したことはない」というニュアンスで使われる長州ことば(山口県)になっていますが、実は私が生まれ育った奥出雲(島根県)でも、よく耳にした馴染みのあるものでした。
「せわぁない?」「せわぁないがねー」
弱虫だった子どもの頃、母もまた、わたしの前で何度か口にしたことばだったのです。

「世話」「世話をする」といえば、介護、介護する。面倒をみる。Take care of …。
「世話を焼く」もあり、「世話になる」や「世話が焼ける」に「世話がない」など、私たちは「世話」ことばのなかで暮らしています。
「せわぁない」とは「世話ぁない」。世話をしたり、世話になったりがないこと。けれど、「世話」が閉め出された、かといって、見放さない。手放さないで配慮がなされている様子であり、関わりとして見えてきます。
もし「せわぁない(世話ぁない)」という環境が整えられたら、世話にまつわる規範や約束事を打ち消した新鮮なコミュニティが誕生し、福祉社会が成就したといえるかもしれません。

「ぼけてもいいよ」
「せわぁない(世話ぁない)」に匹敵する環境を介護現場でみつけることは出来ないでしょうか。そのヒントになることばに「ぼけてもいいよ」があります。
福岡市内で早い時期(1991年)に「ぼけても住みなれた町で、普通に暮らしたい」という人たちのケアに取り組んで誕生した「宅老所・よりあい」(代表・下村恵美子)。実はその第2宅老所所長村瀬孝生さんの『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社 2006年)という“名著”に由来します。毎朝10数人の人がやってきて身を寄せ合って一日をすごす一軒の民家ですが、ここには不思議なことに「世話をする」という介護の構えがまったくみえません。訪ねて気付いたのはまさに(ぼけても)せわぁない(世話ぁない)」という解放区にみえたことでした。
そんな環境をつくりだしたエピソードのひとつ、〈湯飲みをキャッチする営み〉という見出しのついた一文をあげてみます。

次郎さんはよく物を投げた。言葉を失いかけていた次郎さんは、「アアアア~ッ」と奇声を上げながら、目についたものを手当たりしだいに投げるのだ。
それぞれが自宅から集い、「おはようございます」とあいさつを交わしながら席につく。のどが渇いていようがいまいがとりあえずお茶をだす。そのお茶の入った湯飲みを次郎さんは投げる。

チョロと湯飲みに口をつけ、すすったか否か、その瞬間に「アアアア~ッ」と声をあげる。そして湯飲みが放たれる。湯飲みから飛び出すお茶は周囲を水浸しにしながら大きな音を立てて座卓の上に落下し、転がる。
のけぞる人。逃げる人。「なんなっ! そげなことをしたらいかん!」と烈火のごとく怒る人。「あ~あ」と消極的な非難の声をあげる人。あたりは騒然と化す。

僕たちは葛藤した。お茶を差しだせば必ずそれを投げることは目に見えている。だからといって次郎さんにはお茶を出さないと結論づけるのはあまりに差別的。第一、このままだと次郎さんが孤立する。
湯飲みを投げないように職員が阻止すると、次郎さんの興奮はさらに加速する。どうしたらよいものか。

ある日のこと。次郎さんはいつものように湯飲みを投げた。職員はその湯飲みを落としてなるものかと、決死のダイビングで上手に受けとめたのだ。すると周囲は「よくやった」と歓喜に包まれた。投げることへの非難から受け取ったことへのよろこびへと、場の雰囲気がとってかわる。
この日を境に、僕たちは阻止するのではなく、うまく受け取ることに専念することにした。投げる人と受け取る人がいることで場は大いに盛り上がった。
その次郎さんも、最近は湯飲みをなげない。すっかり落ち着いてしまった。投げる人がいないので場がちっとも盛り上がらないのだ。

村瀬さんは、このエピソードを通して『呆け』の多くは孤独であること、あるいは孤立していることが原因のひとつではないか、というのです。「よく分からないものを分からぬままに、あえて立ち入ることなく添い続ける。意味のある無しにかかわらず、それを受け入れる余白が社会にあることだ」と。この「余白」こそが、「ぼけてもいいよ」と「せわぁない」という環境を一つにしているようにおもいます。

この4月、新設の特別養護老人ホーム「よりあいの森」(3ユニット・28人)のボスになった村瀬さんは、それぞれのユニットの名前が「ばんざい」「わっしょい」「あっぱれ」に決まったことをうれしそうに話してくれました。命名は最初に入居してきたひとの第一声が「ばんざい」だった、そして「わっしょい」「あっぱれ」と続いたからだといいます。

「せわぁない」という声の主はだれなのかをよく熟知している人の笑顔がそこにありました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

『呆け』の多くは孤独であること、あるいは孤立していることが原因のひとつではないか,というのは、いい指摘ですね。考える領域が広がるような解放感もあります。

Kon さんのコメント...

「湯飲みをキャッチする営み」はグッとくるエピソードだと思いました。
「投げることへの非難から受け取ったことへのよろこびへ」、「僕たちは阻止するのではなく、うまく受け取ることに専念することにした。」
固まった職業意識とか、そんなものを超えた、ひととひとが向き合うぼけてもせわぁない解放区ですね。
このようないのちことば、昔ながらの日本語を使うと根っこにある本質が思い出せる気がして大変興味深いです。