※先ごろ「いのちを考える、いのちから考えるセミナー」シリーズとして、第1弾の「いのちを受けとめるかたちー身寄りになること」がでました。今回は、セミナー誕生のいきさつにふれて福岡市の在宅医、二ノ坂保喜さんからのメッセージを掲載させていただきました。
○米沢慧さんと最初に出会ったのはいつだったか。 二ノ坂保喜
たぶん、「バイオエシックスと看護を考える会」の席ではなかっただろうか。定かではない。
たぶん、「バイオエシックスと看護を考える会」の席ではなかっただろうか。定かではない。
米沢さんとの出会いの前に、大きな出会いがあった。それは、米沢さんの生涯の師・岡村昭彦との出会いである。私は大学を卒業して、外科医として働きはじめて10年くらい経っていた。北九州市小倉の駅前にあった書店で、岡村昭彦の『ホスピスへの遠い道〈岡村昭彦集6〉』(筑摩書房 1987年)という分厚い本が目に留まった。当時、急性期病院の外科医として日々現場に立っていたが、「ホスピス」という言葉をどこかで意識しはじめていたのだと思う。手にとってすぐに購入した。
岡村昭彦の名前は、『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波新書 1965年)などで知っていた。ヴェトナム戦争をはじめ世界の紛争と貧困の地に赴き、第一線で写真を撮り続ける報道カメラマンというくらいの認識であった。
内容はまさに「ホスピスへの遠い遠い道」で、世界を巡った詳細なルポルタージュは岡村が自らの探求をあますところなく伝えようとしたもので、読者にとって読みやすいように、わかりやすいように、などという親切心はまるで感じられない文章だった。この本は、「看護教育」(医学書院)に2年間(1983年の3月から1985年4月まで〈途中半年中断〉)にわたって連載され、未完に終わったが、ケアの最前線にある看護師にこそ「ホスピス」の真の意味を伝えたい、そのためには安易に手を抜かないという真摯な思いが読み進むにつれて伝わってきた。
この本の中で多くの本が紹介されていたが、私は岡村の後を追うように手に入る限り購入し、読んだ。岡村昭彦は、私がこの本を手にした1、2年前に56歳で亡くなっていた。これが最晩年の著書であり、彼の最後の情熱が熾火のように「ホスピス」を照らしていた。『ホスピスへの遠い道』は、私自身がそれから歩むことになる遠い道の出発点にあり、今も道標である。
この本の解説を書いたのが米沢慧さんであった。岡村昭彦との出会いが、米沢さんとの出会いへと必然的につながったように思う。
生前の岡村昭彦はだれにも臆せず、常に豪速球を投げ、周囲の状況にあまり斟酌しない人だったような印象である。生前の彼をビデオを通して観ると、インタビュアーへの気遣いを見せながらも、ずばっと言いたいことを言っている。米沢慧さんは、むしろ訥々とものを言う人だ。奥出雲の出身ということもあるのかもしれない。
米沢さんは、思考を丁寧に積み重ね、それを順追って語り、飛躍したり、根拠のない話をしたりはしない。すぐれた思想家がそうであるように、常に、借り物でない自らの思考を深めそれを借り物ではない自分の言葉に紡いでいく。その後ろに、妥協を許さない岡村の叱咤が聞こえてくるようである。
米沢慧さんは「AKIHIKO の会」を継続し、また全国各地でセミナーを開いている。私も米沢さんの著書を読み、話を聴く中で、九州、福岡で彼のセミナーを開き、直接、学ぶ機会を持ちたいと思っていた。自分自身が在宅ホスピスの経験の積み重ねの中で学んだことを、自分の思想として蓄積し同時に同じ志を持つ仲間と、米沢さんを囲む会を持ちたいと思った。「超高齢多死社会」とひとくくりにされる中で、一人ひとりのいのちにどう向き合うのか、認知症という医療では如何ともしがたい現状を在宅医として受けとめていきたいと思った。医師として、医療として、というよりも我々一人ひとりがそこにあるいのちとどう向き合うのか、自分自身の存在も含めて「いのちを受けとめる」とは……といったテーマが浮かび上がってきた。
福岡で「米沢慧 いのちを考える・いのちから考えるセミナー」が実現して6年、24回になる。そこは少人数の参加者が真剣に学ぶ場である。思想家としての米沢さんの言葉は一つの羅針盤だと思う。そして、気づきだと思う。「往きのいのち 還りのいのち」「いのちの深さ」「身寄りになる」「老揺(たゆたい)期」等など深い意味合いを感じる。私は在宅ケア、在宅ホスピスの現場での自分の体験を、米沢さんの言葉に重ね合わせて、自分のものにしていきたい。
年に4回のゼミを重ねてきてようやく、米沢さんの言葉を、ライブで聴ける本が出版される。第一冊目の「身寄り」。この言葉の意味を、ともに深く学び、実践の場に活かしていきたいと思う。(福岡市 にのさかクリニック院長)
※「いのちの受けとめ手」表現について
近著の『いのちを受けとめるかたち―身寄りになること』(木星舎)、及び別掲の共著『市民ホスピスへの道―いのちの受けとめ手になること』(春秋社)の主題は表題にあるように「いのちを受けとめる…」「いのちの受けとめ手」にあります。この概念は芹沢俊介著『家族という意志 ―よるべなき時代を生きる』(岩波新書 2012.4)から、ことに「いのちの存続を支え、保証する直接の担い手をいのちの『受けとめ手』と呼ぼう」(第2章「いのち」から考える)という一節に負っています。謝してここに明示させていただきます。
ちなみに、芹沢氏はその後編著者として上梓された『養育事典』(明石書店 2014.8)で「受けとめと受けとめ手」について次のように定義されています。
〈受けとめは養育の基本である。養育は受けとめから始まる。母子関係(対象関係)における母親(産みの母親)の子どもに対しとるべき基本的な姿勢及び対応を指している。とりわけ最早期においては、子どもの受けとめられ欲求(受けとめられたいという欲求)は待ったなしである。子どものこの待ったなしの受けとめられ欲求に、無条件に受けとめようとする姿勢でもって子どもに自己を差しだす人が受けとめ手である。その目的はいうまでもなく、子どもの安心と安定の環境と、そこに形成される子どもの自足的な存在感覚、すなわち「ある」の形成である。…〉