2016年1月7日木曜日

愛犬ロッシュの死 2  音楽死生学


ヘイ・ジュード
「ロッシュ、えらい」「ロッシュ、やったね」「ロッシュ、がんばったね」
そんなことばを口にしながらロッシュの最期を看取ったのだが、実はこのとき、わたしの頭にはずっと音楽が聞こえていたようにおもう。かなしかったが、なぜか、うれしくおもったのもその楽曲のせいかもしれない。そんな思いを書き込んでみよう。

ロッシュが亡くなって間もなくしてから口ずさむようになったメロディがある。
ラーラーラー ラ・ラ・ラ・ラー ラ・ラ・ラ・ラー ヘイ・ジュード
ラーラーラー ラ・ラ・ラ・ラー ラ・ラ・ラ・ラー ヘイ・ジュード
ビートルズ。ポール・マッカートニーの楽曲「ヘイ・ジュード」である。ポールのコンサートでは観客との大合唱が定番になっているほどで、わたしも一度東京ドームのコンサート会場で声をはりあげたことがある。最近はYouTubでもライブ版がたのしめる。
この曲にまつわるエピソードは知っている。それは、この曲を作ったポール・マッカートニーが、ジョン・レノンとその妻シンシアの長男ジュリアンのためにつくった曲とされている。両親が離婚して父親から見捨てられる哀しみを抱えているジュリアンを励まそうとしたというものである。けれど、そんなエピソードから口ずさむことはない。
ラーラーラー ラ・ラ・ラ・ラー ラ・ラ・ラ・ラー ヘイ・ジュード 
このリフレインの「切なさ」と「一体感」の共有がたまらない。そうにちがいない。わたしは、ロッシュの「ウオーン」という声を受けとめながら、なぜ、こんなにも全身全霊をかたむけなければいのちを全うできないのかー。そんな思いをかき消すように「ヘイ・ジュード」のあのリフレインがわたしのからだを繰り返し駆けめぐっていたようにおもう。そうだとするとわたしはそのとき、必死になってロッシュと一体になろうとしていたにちがいない。

カノン
傷ついた心を癒し、元気をとりもどしてくれる音楽療法(ミュージック・セラピー)はしられている。だが、この世の最後に、死に際して音楽を求める思いはあるのである。ホスピスを取材するようになって間もない頃の小さな体験をおもいだす。10数年も前のことで、一度書いたことがあるが、思いだして再度ふれてみよう。
ゆったりした、明るいサロンで車椅子の男性患者さんに会釈をしたとき、「いま曲選びをしているところです」とヘッドフォンをつけたまま声をかけられた。聞いて驚いた。自分が亡くなっていくときに、流してほしい曲選びだという。「バック・グラウンド・ミュージックがほしいかな、といったところです」
虚を衝かれた。葬式のときにではない、臨終のときに聴きたい・流してほしい曲選び? そういうこともあるのかと、一瞬返事にとまどった。「候補になった曲はあるんですか」ときくと、頬がこけ精悍な表情の奥に微笑みがのぞいた。手招きされ、病室へ案内されて聴いたのがバロック音楽の3曲だった。「G線上のアリア」、ヘンデルの「アレグロ ジョコーソ」、それにパッヘルベルの「カノン」。
「最後は一つにしぼりたいですけどね。どうおもいますか」と訊ねられてわたしは窮した。そして「じっくり、考えて決められたらどうですか」といってしまった。すると、すこし間があって「わたしにはそんな時間はないみたいですよ」と言われた。わたしは誠実に対応できなかったことにうろたえて「ぼくだったら『カノン』…になるかもしれません」と応えた。「カノン」は正真正銘のやすらぎの音楽である。三つのヴァイオリンとチェロの通奏低音はおそらく心身を癒すだろうから。その人は「そうですか。やっぱり、そうきますか」といい「このこと、妻に相談すると怒るんですよ。あなたの意見をきいてよかったです。でも、もう少し考えてみます」
時間にして20分ほどだったろうか。その人の病状も、名前も年齢も職業もしらない。その後わたしはおもいだしては少し後悔し、同時にまた不思議な時間を共有したことをながいこと、秘め事のように胸にしまっておいたのだった。

さて、わたしが死を迎えることになったとして、どんな楽曲を求めるだろうか。そんな余裕はないにきまっている。あったとしても「ヘイ・ジュード」ではないだろう。「カノン」でもないだろうとおもう。

愛犬ロッシュの死



愛犬ロッシュが亡くなって(享年1411ヶ月)間もなく三月、この間ブログへの書き込みも出来ないまま過ごしました。2016年のスタートはロッシュの尊厳なる死から入りたいとおもいます。

犬家族になること
「犬と暮らしてみない? 飼ってほしいという人がいる。すぐに気に入るとおもう」という長野の犬好き家族からのおもいがけない電話が入ったのは9年前の春先だった。
すぐさま「こういうことは縁だからね」と自分に言い聞かせるように家人に話し、車をとばして即刻引き取った。てっきり和犬だとおもっていた。名前もケンタとか、サチコぐらいに思っていた。ところが名前は異国の名前ロッシュ。鹿児島生まれのドイツ種ミニチュア・シュナウザー。雌犬で5歳と半年、体重5キロ。犬種には疎いわたしにはおじじ顔の、けれどなかなかの愛嬌犬にみえた。モデル犬としてドッグショーにもでたことがあるという。出産歴は一度、その後流産。「これ以上の繁殖はかわいそう。できたら不妊をしてのんびりすごさせたい」というのが手放す理由のようだった。ブリーダーさんいわく、「それなりにしつけはできています。あと10年はつきあえます。かわいがって!」
「はい、かわいがります」と答えながら、わたしは「それなりにしつけはできている」ということばが気になった。しつけとは「シットダウン」とか「ウエイト」とかの言葉に即座に対応できる訓練された犬のことかな、そう思っていた。

ところが、そういうことではないようなのだ。ご対面の席で、おそるおそる「おいで」と声をかけるとわたしの膝に前足を置いた(彼女は左利きだった)。人見知りがない。人を警戒するといった気配もなかった。同時に媚びているようにもみえなかった。人と暮らせる“配慮”を身につけている。
たとえば食事時、テーブルの下でこぼれ飯を期待している様子はあるが、食べ物をよこせという態度はみせない。朝夕2回のドッグフード以外は原則として食べない習慣が身に付いているようなのだ。また、孫たちが「かわいい、かわいい」とやたら抱きつき馬乗りになり、転がしても逃げもせず嫌がりもせず、なすがままに赦すのである。その一方で、声をかけ掌をひろげるとすばやく懐にはいってくる。抱き上げると肩に前足をのせるし、膝の上にのせると猫のようにまるくなっていつまでもいることがある。
テレビに近い直径70センチほどの円形マットが寝所になったが、おもちゃ遊びもせず一日の大半はそこで眠っていた。ロッシュの啼き声を聞いたのは、ある日玄関のチャイムがなったとき。のどの奥から絞り出すような声で来客をしらせた。このとき、家族の一員という自覚ができたのだとおもう。
ロッシュは5歳でやってきたが、わずか一月で犬家族になった。散歩は朝夕の二回。30分から1時間をあてた。朝は近所の小学生、黄色いランドセルの一年生他四人の集団登校に寄りそうコースである。防犯ベルを首からぶら下げた子どもたちはいつからか我が家の玄関先に集合するようになった。そして交替でロッシュのリードを引きながら登校し、校門が見える歩道橋下でみんなからハグされて引き返す。夕方は住宅団地から公園池につながるコンクリート川沿いのコース。三階建ての老人ホームの庭先で、ときどきロッシュを待っているお年寄りがいる。頭をそっとなでるとお年寄りの表情がゆるむのがわかる。そんな一日のルーティンもできあがっていった。夏、雷に怯え震えながら助けをもとめて懐にとびこんでくる。冬の夜中は寒さにわたしのベッドに潜り込んできたこともある。外出の際にはクルマに喜んでよじ登り、電車ではバッグの中でおとなしく納まることもできるのだった。

尊厳なる死
わが家にやってきて9年。定期健診の際に、数本の歯が欠けていることを指摘されてから、ロッシュは老いを一気に加速させた。散歩の距離が少なくなり、歩行もよちよちになった。「どうしたの、ロッシュ」。視力が落ちてきて室内でも記憶を頼りに心許ない歩きかたになり「こっちだよ」と道案内するために耳元で声をかけるようになった。
そんなロッシュにもプライドがあった。おしっこやうんちはわが家ではしないという意志を最後までつらぬいたことである。
やってきた当初は「室内で用を足せるようにしておくこと」が老後対策だと指摘され、準備は怠りなかった。防水加工で床をぬらさないトイレ、お漏らし対策もできていた。ところが、ロッシュはトイレシートに向かう意思ははじめからなかった。留守番のとき、雨の日などにも終日指定した場所にしない、お漏らしの形跡もない。ロッシュは室内でも庭先にもしない。門扉をあけて外にでるまでおしっこやうんちはしない。我慢できるというのである。どうやら、室内で用を足すことははしたないことだとおもっている。
ロッシュはえらい! かくしてロッシュの便器は消えていった。どんな日でも“トイレ散歩”は欠かせなくなった。雨合羽を着せてびしょ濡れになる大雨の日も、台風や大雪のときも、「犬のフンは飼い主が家に持ち帰りましょう」とか「ここは犬のトイレではありません」という立て看板の前をすりぬけてその意思を貫いてきていたのだ。

そんなロッシュの最期(2015.10.16)はおだやかなものではなかったが尊厳あるすがたをわたしたちに遺してくれた。
少量だったが吐血が始まってから亡くなるまでの10数時間、ロッシュはからだを横たえながら全身をはげしく震わせ、これまで聞いたことのない「ウオーン」と遠吠えをくりかえした。わたしたち家族は、そのからだに掌をそえて鎮めるように宥めるように撫で、見守るだけだった。そんなとき、ロッシュは突然頭をあげて立ち上がろうとした。左前足を立てるとからだがくずれ倒れた。そして後ろ足を動かそうとしてつんのめった。
「ロッシュはうんちがしたいんだ!」
わたしはとっさに確信した。ロッシュのお腹に手をまわして抱きかかえた。
「ロッシュ、外に行かなくていい。ここでいいんだ。ここでしていいんだよ」
と叫びながらロッシュのからだを支えた。
すると、ロッシュはその場で即座に脱糞してみせたのだ。
「ロッシュ、えらい」
「ロッシュ、やったね」
「ロッシュ、がんばったね」
それぞれに口にしながらわたしたちはみんな泣きだしていた。かなしかったが、なぜか、うれしかったのだ。
それから明け方5時過ぎに絶命するまで、ロッシュは闘っているようにみえ、わたしたちは「がんばったね、ロッシュ」と呼び続けたのだった。そこにはもうひとつ音楽が聞こえていたのだ。

(「愛犬ロッシュの死」2へつづく)