2016年11月24日木曜日

日本のホスピスが忘れてきたもの


―三人の会(山崎章郎・二ノ坂保喜・米沢慧)鼎談企画によせて
(日本ホスピス・在宅研究会全国大会in久留米 2017.2.5.


●日本のホスピス40年をめぐって
西欧に誕生したホスピスの近代史を押さえようとすれば、19世紀初頭アイルランドのマザー・エイケンヘッドの修道会活動「死にゆく人々のためのホスピス」に端を発しておよそ200年。シシリー・ソンダースによる近代ホスピスの誕生(セント・クリストファー・ホスピス 1967)からは50年。では、わが国のホスピスはどのような経緯で今日にいたっているのか。概略次の3期に分けてみることができよう。

第1期。 セント・クリストファー・ホスピス(1967設立)が、わが国に紹介されたのは10年後の1997年。新聞見出しは「天国への安息所・英国の『死を看とる』専門病院」(朝日新聞7月13日夕刊)。この年、日本死の臨床研究会が発足した。
わが国のホスピス誕生の契機は1980年にロンドンで開催された第1回世界ホスピス会議(会期5日間・16カ国68人参加)に精神科医・柏木哲夫氏、チャプレン・斎藤武氏がオブザーバーとし参加。そして翌年の1981年に聖隷三方原ホスピス、1984年の淀川キリスト教病院ホスピスが誕生。ホスピスは揺籃期に入った。

第2期。 1990年WHOの指針にしたがって、ホスピスは緩和医療、緩和ケア病棟(がんとエイズに限定)として医療保険制度に繰り込まれ、終末期医療(ターミナルケア)として認知されることになった。この時期、外科医からホスピス医に転進したのが山崎章郎医師。「病院は(がんで)亡くなっていく人の力にはなれない」と著した『病院で死ぬということ』(1990)はベストセラーとなり、映画化されホスピスは市民権を手にした。ちなみに日本ホスピス・在宅ケア研究会の発足は1992年。

そして第3期は21世紀。 長寿社会の到来と重ねてみることができる。介護保険法の施行(2000年)に始まり、がん医療の均てん化を重視したがん対策基本法(2007年)をベースに、在宅療養支援診療の強化、地域包括ケアシステムといった態勢が整備されるなかで各地にホスピスの裾野はひろがってきたようにみえる。

けれど、「日本にホスピスは根づいた」といえるだろうか。名著『ホスピスへの遠い道』(春秋社)の著者岡村昭彦(19291986)は、発表当時(1984)、「ホスピスは日本に根づきますか」という質問に「ホスピスとは施設ではなくて運動なのだということをまず認識してもらいたい」と釘をさしていた。そして、「地域社会との結びつきがないホスピス運動はホスピス精神に反して、がん病棟になってしまう」こと、「ホスピスはコミュニティのなかで、一人一人が参加できるボランティア活動」である、といった言葉を遺している。大きな変動期にある現在、ホスピスの原点から遠ざかっているのではないか、検証してみる時期にきているのは間違いない。

●近代ホスピス運動の原点に立って考えてみる
そこで討議テーマは「日本のホスピスが忘れてきたもの」となった。
何を忘れてきたのか。この課題に向き合うには恰好のテキストがあった。前述の第1回世界ホスピス会議(1980)の課題に立ち返ってみることである。
大会記録は1981年に“Hospice : the living idea”として出版され、わが国では岡村昭彦監訳『ホスピスケアハンドブック――この運動の反省と未来』として刊行(家の光協会 1984)され、ソンダース女史没後には追悼記念出版として『ホスピス―その理念と運動』(雲母書房2006)と原題に戻して再刊された。5日間にわたって討議された全8章のテーマを掲げてみる。
① ホスピスの思想
② ひとつの生き方としてのホスピス
③ 死期を迎えるための哲学
④ 今日の痛みの概念
⑤ 死にゆく患者の症状の緩和
⑥ 運動神経系疾患に対するホスピスケア
⑦ 世界に広がるホスピス運動
⑧ 成果、失敗、そして未来:ホスピスを分析すると
これらはシシリー・ソンダースの思想とセント・クリストファー・ホスピスの設立理念にそったものだが、今日も何一つ旧いテーマはない。ひとつの生き方としてのホスピス、死期を迎えるための哲学。さらに運動神経系疾患(ALS)に対するホスピスケア100例の紹介などは、がん患者にのみ目をむけてきた日本のホスピス運動がいかに視野狭窄で、「いのち」という視点が欠けていたことがわかる。
あらためて、「日本のホスピスが忘れてきたものは何か」。やはり、「(ホスピスの)成果、失敗、そして未来」という視野に立つ試みということになる。思想としてのホスピス、運動としてのホスピス、臨床としてのホスピス等、重いテーマがまっている。
今回は、日本のホスピス運動の渦中で牽引してきた山崎章郎氏と、在宅ホスピスに取り組みながら、アジアのホスピスにも関心を示す二ノ坂保喜氏と、「(日本が)忘れてきたもの」だけではなく「新たに身につけたもの」を探り、語り合えればとおもう。

わたしの視点を添えれば、いま私たちの生活地平には「メメント・モリ(死を想え)」という重い視界がひろがっている。阪神淡路大震災(1995)から東日本大震災(2011)に福島原発のメルトダウン――わたしたちは、未曾有の死の体験を共有している。この間にはいのちに寄り添うNPO法人の立ち上げをはじめ、市民ホスピス運動の試みがある。そこに触れたいとおもう。

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