2020年5月3日日曜日

ステイホーム、その先 ー「緊急事態宣言」によせて  


 ★疫病という名の戦争状態
 アルベール・カミュは『ペスト』(宮崎峰雄訳 新潮文庫)のなかに「この世には戦争とおなじくらいのたくさんのペストがあった。だが、ペストや戦争がやってくるとき、人々はいつも同じように無防備な状態にあった」と記している。
今回の新型コロナウイス報道において西欧諸国のトップはいずれも「戦争」表現と重ねた。
仏国のマクロン大統領は 325日、仏軍が設営した野営病院をマスク姿で視察し、国民向けにウイルスへの挑戦を「戦争」と呼び、治療にあたる医師や看護師らを「最前線にいる人たち」と讃え、416日には外出禁止令を発して、「国民はこの戦争で一つにならなければならない」と述べている。
 独国のメルケル首相は318日、国民向け演説で 感染拡大は 第二次大戦以来の最大の試練とし、旧東ドイツで育った自らの体験を重ね「移動の自由」の尊さを「知っている」としながら、いまは命を救うために禁止令は必要だと「戦争」ということばは避けた。米国のトランプ大統領は、最初から新コロナウイルスを経済戦争の火種として好戦的な発言で押し通した。
 ★いのちを救う野戦病院
そんななかで戦闘態勢を「野戦病院の開設」という表現にこめた英国の態度は際立っていた。
 【ロンドン共同】英政府は4月3日2012年のロンドン五輪で競技施設として使用されたイベント会場内に巨大な「野戦病院」を開設した。新型コロナ感染者が急増する中、病床不足を解消するのが狙い。近代看護の生みの親とも呼ばれる英国の看護師にちなみ「ナイチンゲール病院」と命名した。ベッド数は当初の500床から4000床に。転用にかかった日数は9日。開設の式典には、コロナ感染症から回復したチャールズ皇太子(71歳)がビデオ電話で参加。ナイチンゲールが戦地で多くの病人らに「希望と癒やしをもたらしたように、この場所も人々にとって輝く光となるだろう」とメッセージを送った。
フローレンス・ナイチンゲール(18201910)といえば、185438人の看護婦を率いてクリミア戦争の後方基地のスクタリで傷病兵の看護にあたり〈クリミアの天使〉と呼ばれた。野戦病院は極めて不衛生で、必要な物資はほとんど供給されていなかった。病院の便所掃除がどの部署の管轄にもなっていないことにおどろき、便所掃除から病院のしごとを始めたほどだった。彼女は、戦場で死んだ多くの兵士は戦死したのではなく劣悪な医療・衛生環境のために死んだ、と本国に報告し、清潔な衣類や食器から日用品、タオル・歯ブラシまでを野戦病院にとどけさせた。それだけで半年後にはで死者数が激減したといわれている。
 ★新鮮な空気と陽光
ナイチンゲールといえば名著『看護覚え書き』(1859)で知られているが、この本は看護師が看護を体得する際の考え方を述べたものでも看護教育の手引書でもない。
冒頭から「病気はすべて回復過程にある」として次のように続く。
看護とは 新鮮な空気や陽光、暖かさをや清潔さや静かさを 適正に保ち食事を適切に選び管理すること。すなわち患者にとっての生命力の消耗が最小になるようにして、これら全てを適切に行うことである。(小林章夫・竹内喜訳 うぶすな書房版)
もう一つ、重要な著作として『病院覚え書き』(1863)を添えたい。そこには「病院がそなえているべき第1の条件は病人に害をあたえてはいけない」と述べ、患者の回復を助ける病棟建築として、200床の広さのワンルームを考案し、ベッドごとに天井まで延びた3層の窓が1つある構造で、一番高い窓を常時開放しておけば、病室の空気はいつでも新鮮さを保てる「パビリオン式」設計と呼ばれ、今日の病院病棟設計に大きな影響を与えた。ベッドの高さやベッド間の距離についても理想的な計算値が述べられている。
これら一連の仕事は、クリミア戦争で自ら体験した野戦病院での看護姿勢となにひとつ変わっていない。野戦病院とは、戦場の後方で戦線の傷病兵を収容し、回復させる病院のことだ。新型コロナウイルスと戦わない!で人を救う。むしろウイルスとの共生・共存の道がさぐられている。今回、英国が新コロナウイルス戦略で採った姿勢は、野戦病院の使命をナイチンゲール病院と命名することで際立たせたようにみえる。
 
では、わが国はどんな意思決定をしたのか。安倍首相の「緊急事態宣言」(47日)には主要国が示した「戦争」という表現はなかった。「ロックダウン(都市封鎖)」の指示もなかった。また、“戦後”体制をとって70年、自衛隊の活動を封印して国民へのウイルスに対策と指示は「密閉・密集・密接」を避けること。そして「ステイホーム」という旗を掲げて、防御にはアベノマスク2枚と、10万円給付というパターナリズムであった。
ここで論評はさけたい。ステイホームのその先に暮らしの道筋が見えているわけではない。けれど、人はこんな不安定な宙ぶらりんな状態にあっても「ネガティブ・ケイパビリティ」(回避せずに耐え抜く負の能力)をもっているという(帚木蓬生 精神科医・作家)。いまはステイホーム、マスクをしながら、耐えたいとおもう。(4月29日記す)

2020年2月9日日曜日

「もしものとき」のメッセージ。 ―「人生会議」ポスターから


 昨年の師走を前にした令和元年1130日は「人生会議」の日だった。「人生会議」とは、もしものときのために自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと話し合い、共有する取組のこと。人生100年時代の「(人生最終段階の)意思決定支援」を掲げたACP(advance care planning)運動の一環だったが、勧進元の厚労省が作成した「人生会議」PRポスター「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない。『人生会議しとこ』」は、公開と同時に患者団体や患者や家族を傷つける内容だったと謝罪して掲載を急ぎ停止した。たしかに街からは消えたがSNSに流れていった。

A)「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない」(厚労省)
 たしかに。「まてまてまて 僕の人生ここで終わり? 大事なこと何にもつたえてなかったわ」からはじまるメッセージは関西弁。わたしが訊ねたポスターの感想は一様に「キモチ ワリィ」の一言だった。悶え苦しむ末期患者の姿だけが際立っていて、終末期の意思決定支援のメッセージには見えない。芸能タレントを起用した関西の芸能プロダクションの制作で、廃棄したポスターの数は15千枚だったと聞いた。
 けれど、「人生会議」に協賛した公開ポスターは他にも目にすることができた、ここからは私が目にした十数枚から、「人生会議の日」に思いを託した市民メッセージ(声)を書き写し紹介してみたい。
 
B)「お年寄りの生き方に耳を傾けよう」(沖縄県)
 沖縄県からのメッセージは「人生ゆんたく」。元気な高齢者の大笑い。「私達の生き方を聞いてもらおう」という。ちなみに「ゆんたく」とは「おしゃべり」、おはなし。

C)「人生、最後のタバコの火をつけるのは介護職員」(民間介護施設)
 (ベッドで煙草を吸う要介護者の写真をバックに以下のメッセージが添えられてい。)
  タバコの好きな人だった。酸素も七リットルを超えていた。
  お部屋で吸うことは禁止されていたけど、
  最後のタバコに火をつけるのは介護職員。
  家族からは最後の最後まで本人の希望を叶えてくれて、
  ありがとうと感謝の言葉を頂いた。
  じいちゃんの人生会議は見事に幕を閉じた。

D)「言葉はなくとも囲んで話すと思いがみえてくる‥」
 (笑顔の患者の子どもと女医の写真の周りにメッセージが添えられている)
  彼女は「言葉」では何も話さない。彼女のしぐさと表情を、
  彼女のことを大好きな人たちで、一生懸命受止めて、一生懸命考えて、
  ひとつひとつ、丁寧に選んでいく。だから周りが勝手に決めたんじゃない、
  彼女が決めてるんだ、と確認できる。これも「人生会議」のひとつのカタチ。

E)「決めなくてもいいから、いっぱい話をしよう」(民間クリニック)
 (父親の往年のライダー姿をバックに文章が書き込まれている)
 
「どこで死にたいか、病気になった時どうしたいか。そんな話ばかりしなくてもい。
何が好きか、何を大切にしているのか。決めなくてもいいから、いっぱい話をしよう。
47歳で見つかったステージ4の肺がん。根本的な治療は難しい段階だった。病気の苦しみは本人からも自分らしさを奪う。
大切にしていた娘のソフトボールの試合の応援。もう無理かな‥。
あなたを知るみんなと一緒に迷いながら選んで進む。体の調子だけをみていたら、行かないほうがいい。でも、彼らしさを共有したら、行かないのはありえない。
そう思えた。行けるさ、行こう。
家族一緒だった。たくさん話し、迷った先にみんなで出した答え。
4番ピッチャーの娘は大活躍。無失点でのコールド勝ち。ナイスピッチング!
勝利を喜ぶ笑顔と大きな声は病気の重さを少しも感じさせなかった。人はいつどんな時でも、誰かの力になれる。試合の翌日、自宅に戻り息を引き取った。旅立って5年、娘は地元開催の国体で県代表のエースになった。お父さんはきっと言ってくれるとおもう。ナイスピッチングって。
決めなくていいから、いっぱい話をしよう。こんなとき、私は、あの人はどんな選択をするだろう。」
  *
 これらは「人生最終段階の意思や責任」を取り込むつもりだった厚労省の企画をはるかに超えた、市民の真正でかつ正直な願いである。
「人生の最終段階の想いや願い」は、インフォームドコンセント(わたしは説明しました、あなたは説明を聞きました)といった臨床の場における責任や意思確認のことではない。 伝わってくるのは、人生最終段階の「いのち」の深さ、愛おしさであり、無条件で受けとめられる「ことば」にほかならない。これが厚労省のポスターを打ちのめした理由なのだ。