2015年1月17日土曜日

ホスピス猫の話

老人ホームの医師が書いた本に患者に寄りそう猫の話があります。アメリカのロードアイランド州の重度の認知症を患う高齢者が多数入居しているナーシングホーム(介護付き有料老人ホーム)。そこには患者たちの人気者になっている猫が6匹ほどいますが、そのうちの1匹の雄猫オスカーは天国に旅立とうとしている患者をいち早く見抜く力をもっているというのです(『オスカー』デイヴィッド・ドーサ 栗木さつき訳 早川書房)
ふだんオスカーは餌と水のあるフロントデスクの脇に現れる以外はどこかに隠れています。ある日、特定の部屋に現れ、患者のベッドに寄りそうようになり、やがて寝ずの番をすると間もなくしてその人は亡くなっていった…。それが5人6人と続くと、オスカーがそばで過ごすのは死期が迫った患者に限られていることがわかった。しかも、その事実がわかるとみんなに気味悪がられるどころか、歓迎されるようになっていたのです。

[証言1] 最初の1週間オスカーは居室の戸口の前を行き来したり、ドアのところでのぞき込んだりしてました。けれど、ある日ドアをあけると母のベッドに飛び乗らず、不安がったわたしの傍にすわったんです。信じられます? あたしが頭を撫でるとごろごろ喉を鳴らしました。それから廊下で会うとわたしを護衛するみたいに母の部屋まで一緒にあるいてくれて。母が亡くなるまでずっと一緒にいてくれました。

[証言2] オスカーは部屋では長居はしませんでしたが、母が亡くなる数時間前にはオスカーは閉じた部屋のドアの前をいったりきたりしはじめたの。そのときオスカーはひどく元気がなかった。ドアを開けてやったら一直線にベッドに走っていき、母の横に飛び乗ってそのまま丸くなり、どうしても動こうとしなかった。数時間後に母は亡くなりましたが、葬儀屋さんがきてもオスカーはそばを離れませんでしたわ。

[証言3] オスカーは天使だとおもう。さっき、母が亡くなるまでここにいてくれました。そして、いまは私のためにいてくれます。オスカーが傍にいると孤独が癒されるの。いまどうなっているのかわかっているよという感覚でここに居るの。それでオスカーと一緒にいると、これは自然のことなんだっておもえてくるの。

[証言4] 解せないのは、自分が必要とされていることがオスカーにはわかるらしいってこと。とくに見返りを求めているふうでもない。顎の下や耳の後ろを掻いてやるくらいはするわ。でもそれだって、そうしていれば私の気持ちが休まることを承知のうえという感じなの。母が亡くなるときは私が自宅にもどった直後のことだったけれど、母はひとりぼっちじゃなかったわ。そばにオスカーがいたんだもの。

[証言5] オスカーはその仕事を終えると、いつもぐったりするの(ホームのスタッフ)。

ナーシングホームの主治医でもある著者は、オスカーの予知行動について医学誌に発表し反響を呼んだといいます。その一つは第二次世界大戦の退役軍人からのもので、「先の長くない兵士の身体からは甘い芳香が漂っていた」と語ったそうです。細胞が死ぬと炭水化物は様々な酸化化合物に分解され、その際甘い香りを発する。ケトン体という化合物で糖尿病の患者の息の匂いを嗅ぐと血糖値の高さを判断できるのと同じものだ。ひょっとしてオスカーは死の直前に体内から発散される化合物の香りが基準値よりも高いことを嗅ぎわけていたのではないか、というのです。
だからといって、ここで“死期を感知する猫”の特異性にこだわることはないとおもいます。ナーシングホームには重度の認知症を抱え、どうにもできない現実(施設への不満も含めて)に怯えている人や怒っている人。また介護者のなかには思うように介護ができず苛立ったり罪に意識に駆られたりする人もいたといいます。そうした人のこころの葛藤にふっと割り込んでくるオスカーの“シックス・センス”におどろき共感するだけで十分な気がします。

ここで、吉本隆明さんが自らの死の三ヶ月前に、16年余り生きた最愛の猫への愛着を語った『フランシス子へ』(講談社)のなかの一節を引いてみます。
《フランシス子が死んだ。ぼくよりはるかに長生きすると思っていた猫が、僕より先に逝ってしまった。
一匹の猫とひとりの人間が死ぬこと。
どうちがうかっていうと、あんまりちがわないねえって感じがします。
おんなじだなあって。どっちも愛着した者の生と死ということに帰着してしまう。
たいていに猫は死ぬときに黙って姿を消すもので、そうすると飼い主はおそらくどこかで死んだんじゃないかって、ずいぶんせつない思いをします。
…フランシス子はそうじゃなくて、亡くなるときも僕のそばで亡くなった。
最後の最後は、猫がよくあまえるときに鳴らす首とか、脇の下とか、動くのはそれくらいで、なんの言葉もないけど、そこまでいっしょにいられたんだったら、もう、言うことはないよなあって。》
《…それは何かといったら、自分が猫に近づいて飼っていると、猫も自分の「うつし」を返すようになってくる。あの合わせ鏡のような同体感…》

人のそばで亡くなっていく猫がいるのだから、人もまた猫に看取られて死ぬのがあってもいいのではないか。
最近のことです。吠えることを忘れてしまった13歳になる愛犬ロッシュが、深夜わたしのベッドに潜り込んでくるようになりました。犬になっても、人になってもいい。どっちも愛着した者の生と死ということに帰着してしまうから。



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