2015年4月4日土曜日

みとりびと―いのち継ぐかたち


おくりびと

評判になった映画に『おくりびと』がありました。
「おくりびと」とは葬儀社に勤め、遺体を棺に納める湯灌・納棺の仕事を専従にしている納棺師。湯灌といっても死者を湯浴みさせるわけではなく、アルコールで拭き、白衣を着せ、髪を整え、手を組んで数珠を持たせ、納棺するまでの作業に、遺族が固唾をのんで見守っているシーンでは、「身内でだれか亡くなっても、こんなプロの納棺師にお願いできるなら安心だわ」という声も聞こえていました。
在宅死から病院死へ、そして自宅葬から斎場葬へ。今日の死(いのち)の受容のあり方を象徴させる「おくりびと」の存在が妙に気になりました。胸の内では「死者を送る前に、看取りがあるのでは」とか、「看取り・見送りはひとつだろう」という郷愁のような思いでした。古典の像を描くとすれば、斎藤茂吉の次の歌でしょうか。

 いのちある人あつまりて
 我が母のいのち死行くを見たり死にゆくを

母の危篤を聞いていそぎ夜汽車にゆられ郷里の母の臨終に間に合ったときの情景(処女歌集『赤光』から)です。ここで「看とり」とは「いのちある人」が集って「いのち死にゆく人」の姿をしっかり見届け見送ること、死(いのち)の受けとめ手になることとして活写されています。

みとりびと

作家・野坂昭如は「自らの死を子らに見せることが一番大事な教育である」と語っていました。見送るより看とること、「おくりびと」ではなく「みとりびと」になることが大事なのだと。そこで採りあげたいのが『いのちつぐ「みとりびと」』(農文協 全4巻)。『家族を看取る』という著書もある写真家國森康宏の子ども向けの読む写真集(というよりも絵本写真)。場所は滋賀県琵琶湖周辺の農村集落。じいちゃん、ばあちゃんが「いのち死にゆく人」としてしっかり映し撮られ、「いのちある人」の看取り見送る表情が四季の彩りのなかで、四つの物語として納められている。

「いのち死にゆく人」の前には「いのちつぐ人」として子どもがいること。
たとえば、小学校五年生の『恋(れん)ちゃんはじめての看取り(1巻)』。
九〇歳を過ぎても毎日のように畑仕事をしていたおばあちゃんが、急にからだが弱くなり、一週間ふとんから出られなくなり、そのまま亡くなった。写真は枕元でそっとおばあちゃんの額にてのひらを添える子どもの表情を写し撮っていました。この掌は何を受けとったのだろうか。著者は「あとがき」で、死と向きあった恋ちゃんの「人は死んでしまうと、つめたくなり、二度と生き返りません」と確認しながら「でも、おおばあちゃんは私のなかで生きつづけています」というたしかなことばを引き出していました。

『月になったナミばあちゃん―「旅立ち」はふるさとで わが家で(第2巻)』では、「いのち死にゆく人」が親しい人たちのこころをひとつにあつめる力をもっていることを教えてくれました。寄りそう人だれもがはじめはうろたえ、とまどい、悲しみ、そして「さよなら」「ありがとう」のことばを口のしていき、よろこび泣き笑いしながら、死にゆく人を見守り見送るシーンに子どもの眼差しが加わっていました。

また、『白衣をぬいだドクター花戸―暮らしの場でみんなと輪になって(第3巻)』の主役は看とりの背後に立つ在宅医でした。
写真家ユージン・スミスには、初期を代表するフォト・エッセイ「カントリー・ドクター」とか、ベッドに横たわっている死者の姿を撮った「スペインの村」(1951年)があり、その重厚な写真を感銘深くみた記憶があります。
けれど、ここでは、哀しい情景にかわって医師は「いのち死にゆく人」と「みとりびと」を引き合わせる、いいかえればいのちのバトンを引き継ぐための「たちあいびと」として引き出されていたことでした。そして生―殖―死という〈いのち〉のリズムを継承する証として「生誕」すなわち、いのちの受けとめ手として赤ん坊の貌で写真絵本が結ばれていました。
人の死(いのち)は終わりではなく、はじまりでもあるというわけです。ここから引き継ぐいのちを、河野愛子歌集(「黒羅」)から引いておきます。

子は抱かれみな子は抱かれ子は抱かれ人の子は抱かれていくるもの




2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

死はいのちのリズムであって、それを継承していくのが生誕であるのですね。
ぼくもやがて死にゆくものです。そして先月、ぼくの孫が誕生しました。いのちの継承が行われました。

Kon さんのコメント...

亡くなった人が居なかったということはないとつくづく思います。

生きているものは全て、亡くなった存在から生きる力や生きる場所を引き継いでいるからです。

ずっとずっと時間の中に存在しつづけると思います。

だから大切な人たちと会う時は、今がいつもとても大切に思えます。