《ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称を「人生会議」に決定しましたー 人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み、「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」について、愛称を「人生会議」に決定しましたのでお知らせします。》
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上記は師走を前にした平成30年11月30日(金)、厚労省のホームページ(照会先・医政局地域計画課)の掲示板である。
この見出しを読んでみて即座に理解できた人はどれだけいただろうか。ここでACP(advance care planning)とは、平成30年度診療報酬改定に際して、看取り加算の要件となった「(終末期の)患者の意思決定支援」に基づく「事前ケア計画」会議のこと。その愛称を公募した結果、千件を超える応募数から「人生会議」としたという報告だった。
「人生の最終段階の医療」とは、病院の延命治療に限らない在宅医療や介護の現場等での死を迎える時期をさしている。また、悪性腫瘍、心不全・呼吸不全等の時期や、認知症さらにはフレイル(健常から要介護へ移行する段階)でも終末期判断はある。医師が一年以内に亡くなるかもしれないと判断できそうならACP(人生会議)は奨励されるという。その際の主題になるのは、たとえば、
①人生最後を過ごしたい場所は?(自宅、病院、介護施設、その他)。
②自分で食べることができなくなり、回復もできないと判断された時の栄養手段は?(経鼻チューブ栄養、中心静脈栄養、胃ろう…)、
③医師が回復不能と判断した時に、してほしくないこと?(心肺蘇生、人工呼吸器、気管切開…)。さらに、④患者の意思確認が不可能な場合、誰に?(家族、代理人)等。
こんな重たいことを確かめ聞き出す会合を「人生会議」にしようというのだ。その会議には患者・家族を真ん中に主治医、看護師、ケアマネージャー、介護福祉士など多職種の医療ケアチームが取り囲んでいる「地域包括ケア」の構図と重なってみえる。
ここで意思決定のキーワードを思い浮かべると、けっして簡単ではない。家族との関係性、地域性、文化などがその人の価値観や意思決定に関わるからだ。話し合いは繰り返し行われることや、本人の希望が変わってもよいことも前提になる。それだけに戒めも必要であろう。心の準備ができていない人に決めることを要求したり、事前指示書の作成を目的にしてしまったり。
主役はあくまでも患者本人。患者の意思や心の揺れを見逃さないで、繰り返し話し合うことが求められる。
関連して厚労省は、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」「人生の最終段階における医療・ケアについて考える日」と命名している。私達は今日、人生最後の死に方まで医療の手を借りないと生涯を全うすることができないということだろうか。
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ここで、在宅医の鐘ヶ江寿美子さん(佐賀県小城市)から聴いた“3つの死”を引き合いにしてみよう。
末期がんのOさん(78歳)との在宅診療初日のこと。Oさんは「私はこれまで、三度死んだんです」と語りだした。1つは40歳時の交通事故による左下肢切断(それに伴う職業の大転換)。2つは76歳時に余命1~2年とされた前立腺がん(ステージⅣ)。3つ目はその直後のレビー小体型認知症(幻視・幻聴)。この「三つの死」は当初は妻が聞き役だった。今度は医師が聞き手になった。そして2年後、妻に面倒かけたくないと自ら病院に入院し亡くなったという。「三つの死」はたしかに生きてきた徴、「生きてきてよかった」というOさんのメッセージだったのではないか、それが鐘ヶ江医師の感想だった。
「人生会議」とは、そんな聞き手、受けとめ手になる人によって、「いのちを伴奏するケアのかたち」が整うことではないか。わたしたちはそれを「ファミリー・トライアングル」と呼んでいる。OさんにはB(家族)とC(医師)という陣形(三角形)ができている。声をかけ(コーチング)、目で合図する(アイ・コンタクト)と、「共にいる」ことに根ざした共感が支えになっている。三人目、三番目の役割が支えになるはずである。関連して、作家の柳田邦男さんには「二・五人称」という表現がある。一人称は私(患者)、二人称は家族や恋人、そして三人目の医師や看護師や介護の専門家は、患者や家族に寄りそっていく「二・五人称」の視線が大事だと。
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