2014年12月24日水曜日

身寄りになるということ(1)身寄り人

長寿社会の〈いのち〉について触れようとすると、思い浮かぶのがグリム童話「寿命」や「死に神のおつかいたち」です。
「寿命」のエピソードはよく知られるように身に凍みます。神さまは、人間、ロバ、イヌ、サルに平等に30歳という寿命を与えようとしますが、ロバやイヌ、サルはそれなりの理由をつけて短くしてほしいとたのみ、神さまはロバの寿命を18年減らし、イヌは12年、サルは10年減らすことを約束します。ところが後からやってきた人間は30歳ではあまりに短いと嘆いたので、神さまはロバ、イヌ、サルが辞退した18年、12年、10年の合計40年を加えて人間の寿命を70歳にしたのです。
その結果は、人生70年のうち30年は人間らしい生活を楽しみますが、プラスしてもらった40年は、荷役労働に苦しむロバのように過ごし、歯が抜け鼻もきかない老いたイヌのくらしに加え、サルからもらった晩年の10年は涎をたらし痴呆になり生涯を終えることになった――というものです。

もうひとつ、「寿命」については江戸時代貝原益軒が83歳のときに著した『養生訓』にあります。人のすがた・かたちを「身」と規定して「人の身は100年を期限とする」として、100歳を上寿、80歳を中寿、60歳を下寿と名付けています。現在、日本人は上寿・100歳に向かって長寿世界一です。それはロバやイヌ、サルが辞退した困苦を受けとめる「老揺(たゆたい)期」であり、「認知症」という名称にかえて身のゆくえが定かではないすがたもあります。

では「認知症」という身のゆくえを受け入れ支えるにはどうしたらいいでしょうか。
こたえは簡単です。『ぼけてもいいよ』(2006年)という本に出合いました。
惚けても住みなれた町で暮らしたいという地域の人の願いを手探りして下村恵美子さんの手で立ち上がった福岡市内の「宅老所・よりあい」はすでに20年以上の実績があります。この本は「第2宅老所・よりあい」のリーダー村瀬孝生さんのコラムエッセイで介護の記録ではありません。村瀬さんはそこで、こんな呟きをしています。

①〈ときどき思う。お年寄りたちは僕をだれだと思っているのか?
トメさんは僕を息子のように扱ったり、同僚の教師と思っていたりする。スミエさんは自分の夫とおもっているときがある。スズコさんは奥様の世間話のように話しかけてくる。「あなたのご主人が怖い人だったらどうする?」。ひょっとして僕は男としてみられていないのか?
フサさんにいたっては「あんたは最近、海から上がってきたばかりだからね~」と僕を指さしたことがあった。いったい僕は何者なのか。〉

毎朝10数人の人がやってきて身を寄せ合って一日をすごす場所ですが、ここには認知症というカテゴリーがありません。わたしも「宅老所・よりあい」を訪ねたことがあります。けれど、ここには介護する人・される人の線引きがみえないのです。ひとの姿が「(いのち)という存在として受けとめられているからだとおもいます
ここで「身」ということばを貝原益軒の『養生訓』からとらえなおしてみます。
身とは松田道雄の現代語訳では「からだ」と読んでいます。「ここにいる」というひとの姿のことですが、身は「五官」というはたらきと記されています(巻第5「五官」)。すなわち、耳(聴く)、目(見る)、口(喰う)、鼻(嗅ぐ)と形(頭身手足のはたらき)で「身」はたちあがっています。益軒はさらに五官は「二便」(小便・大便)と「洗浴」を加えることで「身」は維持されると述べています。

――朝起きる。食べる。歩く。おしっこ、うんこする。話す、見る、聞く、(匂いを)嗅ぐ、触る、働く・遊ぶ。入浴する、そして寝る。
五官は日々の暮らしを通して身をささえ助け合うものです(註「広辞苑」等国語事典では五官と五感を同義語のように扱っています。わたしには違うようにおもえます)。
けれど老いは「身」存在を危うくしていきます。そしてここ「宅老所・よりあい」では「身」の拠りどころ置きどころを失っている、寄る辺ない人たちが受けとめられているのです。村瀬さんのつぶやきを聴いてみましょう。

②〈僕たち(スタッフ)はお年寄りから名前で呼ばれることがほとんどない。名前なんてすぐ忘れてしまうから…。けれど時間と場所を共有し続けることで、僕らはお年寄りたちと不思議な絆で結ばれているように思える。家族のようで家族ではなく、他人のようで他人ではない。「他人以上、家族未満」といったところか。〉

ここには福祉の専門家になることや介護者の技術が問われているのでもありません。ただ、「身寄りになる」といういのちへの深い眼差しが引き出されているだけです。
『ぼけてもいいよ』というメッセージは、いのちの受けとめ手としての「身寄り(みより)(びと)宣言になっているようにおもいます
(註 タイトルの隣「身」は白川静『字通』1986 平凡社より、引かせていただきました)



2014年12月15日月曜日

平穏死

 わが国の平均寿命(ゼロ歳児の平均余命)は90歳に近づいています。この長寿を制度的に支えているのが医療・福祉ということになります。この段階で気になるいのちことばは「寿命」や「老衰」です。ところがこの概念は医療の世界では意外に評価が低いのです。

評判になった特別養護老人ホームの常勤配置医師石飛幸三さんの『「平穏死」のすすめ』(講談社文庫)が今回のテキストですが、寿命や老衰についてこんな記述があります。
「病気は何らかの理由でからだが故障した状態であり、その故障を治すのが医療行為だが、老衰は故障ではなく、もう機械に寿命が来たのです。高齢者は老衰で死ぬことも多いのですが、老衰という病態が認識されていないという奇妙な現実があります。特に多くの医者は老衰という病態に戸惑うことが多く、死因として何らかの病名をつける必要を感じてしまうのです。そうしないと治療したことにならないからです」

老衰死にも何とか死因を見つけたいということです。ちなみに医師にしか書けない死亡診断書の死因蘭には「病死及び自然死」の項目がありますが、死亡診断書マニュアルには「老衰」という記述を控えるように注意書きがあります。死亡診断書は医療統計の原本資料ということがあり、エビデンス(科学的根拠)としての死因が強く求めているということでしょうか。上寿(百歳)超が5万人という長寿社会にあって老衰死は自然死の代表格のはずです。医療行為は要るのだろうか、要らないだろうと石飛医師は自問しながら、「自然死」についても次のようにカミングアウトされています。
「多くの医師は自然死の姿がどのようなものか知る機会がありません。こう言う私自身、病院で働いていた(※血管外科医として)40年以上の間、自然死がどんなものか知らなかったのです。いまの医学教育では、病気だ、病態はどうだ、どう対応するか、病気を治すことばかり、頭の中がいっぱいになるほど教え込まれます。しかし、死については教わりません。死は排除されるのです」

いのちを救うこと、外科医にとって、死は敗北だと言われます。石飛医師は、かつて自らの手術でいのちを救った人たちと同年配の人たちを、今度は特養老人ホームの勤務医師として老衰死や自然死を肯定的に受けとめていく眼差しを手にされたのでした。わたしの理解では「死への時間」という概念です。死が予測される時間の長さによって死への対処が三つに区別されています。
一つは突然死です。心筋梗塞や動脈瘤の破裂などで死は突然にやってきます。二つには、いつ死ぬかがあらかじめ判る死です。がんの場合は「いつ頃幕を引くのかおおよそ判る」のです。そして三つ目が「なかなか来ない死」。これが老揺期(たゆたいき)のいのちの深さであり老衰の様態を映し出す自然死への過程ということになります。脳梗塞やアルツハイマー病などによる障害や、認知症の人や寝たきりになって胃ろうに頼って生きる人たちの姿が視野に入ってきます。

この三つ目の「なかなか来ない死」の向こうに医療社会の自然死の姿を思い描いたとき、石飛医師は平穏死ということばを手に入れられたにちがいないのです。私なりにことばをあつめ要約させていただきます。
――平穏死について。
「高齢者の老衰は生物学的に寿命がきて、静かに幕引をしたいとおもっているからだであり、〈死への準備をしている体〉であること。だから、これは病気ではない。天寿を全うしようとしている体です。ここで最期の時を決めるのは医療ではありません。人間が決めてはいけません。まさに時の流れに身をまかせるべきです」
――食べられなくなってからの姿について。
「喉の渇きや空腹を訴える方に出会ったことがありません。何も体に入っていないのにおしっこがでます。自分のからだの中を整理整頓しているかのようです。ある人はこれを氷が溶けて水になっていくのと同じで、からだが死になじんでいく過程だと言います。だから苦痛がないんです」
―平穏死は尊厳死?
「尊厳死というのは本人の意思の主体性を重んじる概念ですが、平穏死は穏やかな、自然な、いうなれば神の意志による死という概念のものです。そもそも老衰は自然であり、神の意志ですから、結局わたしには胃ろうを『しない』ことが不作為の殺人になるとはとうてい思えない。むしろ『する』ことの方が神の意志、平穏死を阻害するとおもうのですが」

平穏死ということばは、長寿・医療社会にあって自然死の道筋がつけられているいのちことばだと納得できます。そして、さらにもうひとつ、触れておきたいことがあります。
石飛幸三さんは亡くなった方の遺族から「胃ろうはやるべきではなかったようにおもいます。どうおもわれますか」という質問にこうこたえています。「もし胃ろうをせずに亡くなっていたら、やっぱりやるべきだったのではと後悔するかもしれませんよ」と。この立ち位置こそが医師の大いさを伝えているようにおもいます。


※今回で4回目の投稿です。ひと月足らずのうち、500ほどのアクセスをいただきました。うれしくおもいます。コメントもどうぞ、お願いします。次回の投稿は23日頃を予定しています。(慧

2014年12月6日土曜日

抱きぐせ・泣きぐせ

安楽死についてではなく、90歳を前にして『安楽に死にたい』(1997)という本を書いて亡くなった医師がいました。『育児の百科』(1967)の小児科医松田道雄です。
あのころ、わが家では『育児の百科』をマツダセンセイと呼んで、育児に不安があると、相談項目をさがしてはページを開き「心配しなくていい、気にしなくていい」という安心記述に何度もほっとした記憶があります。

たとえば当時、赤ん坊が泣くたびに抱くと「抱きぐせ」がついてよくないという俗信がはびこっていました。これに対してマツダセンセイはいうのです。
赤ちゃんが泣くのには、空腹で泣くのがいちばんおおい。排泄物でぬれて気持ちわるくなったため泣くと思われる場合もある。腸のなかにガスがたまって不快を感じて泣くと思われる場合もある。乳をのませてまだそれほど時間がたっていないのに泣いたら、母親はおむつがよごれていないかどうかをしらべる。それもきれいだとわかったとき、泣いている赤ちゃんをどうするかで、母親は迷う。だが迷うことはない。空腹でもなく、おむつがぬれているのでもないのに泣く子は、抱いてほしがっているのだ。泣くのをそのままにしておくと「泣きぐせ」がついてしまう。
「泣くことは赤ちゃんの唯一のコミュニケーションの手段だ。これが無視されるとなると、赤ちゃんは合図としてではなく怒りとして泣くようになる」と。※(『定本育児の百科』岩波文庫2007から)

マツダセンセイは「授乳」についても言っています。
「胸に抱いて乳をのませることで、母親は世界の誰よりも近く子どもの顔をみて肌にふれる。うれしいときにはどんな顔をし、つらいときはどんなにそれが変わり、からだが順調なときはどういう様子かを、母親は乳をのませることでまなぶ。…乳を吸うよろこび、乳をすわれるよろこび、それは生物的なものである。人間の大きなよろこびが生物的なものとつながる運命を拒否すべきではない」※
こうした考え方は当時、もう一つ育児書の手本として人気があった『スポック博士の育児書』(1966)との大きな違いでした。
授乳は赤ん坊に栄養を与えるためだけではなく、なによりも母子を安寧のうちにとりこむことができるということ。乳を含ませ、眠らせ、おむつを替え、そして抱くこと。このいのちへの配慮から愛は育まれるというのです。その関係を「甘え」ということばでのべられたのが土居健郎の『「甘え」の構造』(1971)だったようにおもいます。
「甘え」とは気持ちのうえで相手とつながっていること。動物行動学でいう「刷り込み」というこころの動きですが、満一歳までに手に入れることになる原始的な愛の関係です。「甘え」というのはことば以前の段階で動物的な衝動感情(恐怖)から、人間の感情を手にするために欠かすことのできない関係だと教えられたのです。

さて、『育児の百科』のマツダセンセイが90歳を前にして著したのが『安楽に死にたい』でした。
「高齢者の良識からすれば、もうCure(医者のやる治療)はたくさんだ、Care(親しい人の心のこもった世話)だけにしてほしいということだが、医者には理解しにくい。生物的生命を一分でも一秒でものばすのが医学の使命だと思っているからだ。医者は死に近い人間をTerminally illという。illがあるかぎり医者は治療をするのは当然と思っている。高齢者にとっては、illがあってもTerminal Lifeを生きたい」

ここには、赤ん坊が、はいはいからよちよち歩きを始め、たどたどしくことばを覚えていく、そんな往きのいのちの歩みにかかわる『育児の百科』の眼差しから、脚力が衰えてよちよち歩きになり、ことばもだんだんに不確かになっていく老いへの慰安。すなわち還りのいのちへの配慮をもとめて『安楽に死にたい』となったのです。
時代は長寿(少子高齢化)社会にむかっていました。このことばからわたしは、Cure(キュア)の系譜を「往きの医療」と呼び、Care(ケア)へと展開する高齢者介護や看取りが視野に入っている医療の軸を「還りの医療」と名付けたのでした(拙著『「幸せに死ぬ」ということ』1998)。