2014年12月15日月曜日

平穏死

 わが国の平均寿命(ゼロ歳児の平均余命)は90歳に近づいています。この長寿を制度的に支えているのが医療・福祉ということになります。この段階で気になるいのちことばは「寿命」や「老衰」です。ところがこの概念は医療の世界では意外に評価が低いのです。

評判になった特別養護老人ホームの常勤配置医師石飛幸三さんの『「平穏死」のすすめ』(講談社文庫)が今回のテキストですが、寿命や老衰についてこんな記述があります。
「病気は何らかの理由でからだが故障した状態であり、その故障を治すのが医療行為だが、老衰は故障ではなく、もう機械に寿命が来たのです。高齢者は老衰で死ぬことも多いのですが、老衰という病態が認識されていないという奇妙な現実があります。特に多くの医者は老衰という病態に戸惑うことが多く、死因として何らかの病名をつける必要を感じてしまうのです。そうしないと治療したことにならないからです」

老衰死にも何とか死因を見つけたいということです。ちなみに医師にしか書けない死亡診断書の死因蘭には「病死及び自然死」の項目がありますが、死亡診断書マニュアルには「老衰」という記述を控えるように注意書きがあります。死亡診断書は医療統計の原本資料ということがあり、エビデンス(科学的根拠)としての死因が強く求めているということでしょうか。上寿(百歳)超が5万人という長寿社会にあって老衰死は自然死の代表格のはずです。医療行為は要るのだろうか、要らないだろうと石飛医師は自問しながら、「自然死」についても次のようにカミングアウトされています。
「多くの医師は自然死の姿がどのようなものか知る機会がありません。こう言う私自身、病院で働いていた(※血管外科医として)40年以上の間、自然死がどんなものか知らなかったのです。いまの医学教育では、病気だ、病態はどうだ、どう対応するか、病気を治すことばかり、頭の中がいっぱいになるほど教え込まれます。しかし、死については教わりません。死は排除されるのです」

いのちを救うこと、外科医にとって、死は敗北だと言われます。石飛医師は、かつて自らの手術でいのちを救った人たちと同年配の人たちを、今度は特養老人ホームの勤務医師として老衰死や自然死を肯定的に受けとめていく眼差しを手にされたのでした。わたしの理解では「死への時間」という概念です。死が予測される時間の長さによって死への対処が三つに区別されています。
一つは突然死です。心筋梗塞や動脈瘤の破裂などで死は突然にやってきます。二つには、いつ死ぬかがあらかじめ判る死です。がんの場合は「いつ頃幕を引くのかおおよそ判る」のです。そして三つ目が「なかなか来ない死」。これが老揺期(たゆたいき)のいのちの深さであり老衰の様態を映し出す自然死への過程ということになります。脳梗塞やアルツハイマー病などによる障害や、認知症の人や寝たきりになって胃ろうに頼って生きる人たちの姿が視野に入ってきます。

この三つ目の「なかなか来ない死」の向こうに医療社会の自然死の姿を思い描いたとき、石飛医師は平穏死ということばを手に入れられたにちがいないのです。私なりにことばをあつめ要約させていただきます。
――平穏死について。
「高齢者の老衰は生物学的に寿命がきて、静かに幕引をしたいとおもっているからだであり、〈死への準備をしている体〉であること。だから、これは病気ではない。天寿を全うしようとしている体です。ここで最期の時を決めるのは医療ではありません。人間が決めてはいけません。まさに時の流れに身をまかせるべきです」
――食べられなくなってからの姿について。
「喉の渇きや空腹を訴える方に出会ったことがありません。何も体に入っていないのにおしっこがでます。自分のからだの中を整理整頓しているかのようです。ある人はこれを氷が溶けて水になっていくのと同じで、からだが死になじんでいく過程だと言います。だから苦痛がないんです」
―平穏死は尊厳死?
「尊厳死というのは本人の意思の主体性を重んじる概念ですが、平穏死は穏やかな、自然な、いうなれば神の意志による死という概念のものです。そもそも老衰は自然であり、神の意志ですから、結局わたしには胃ろうを『しない』ことが不作為の殺人になるとはとうてい思えない。むしろ『する』ことの方が神の意志、平穏死を阻害するとおもうのですが」

平穏死ということばは、長寿・医療社会にあって自然死の道筋がつけられているいのちことばだと納得できます。そして、さらにもうひとつ、触れておきたいことがあります。
石飛幸三さんは亡くなった方の遺族から「胃ろうはやるべきではなかったようにおもいます。どうおもわれますか」という質問にこうこたえています。「もし胃ろうをせずに亡くなっていたら、やっぱりやるべきだったのではと後悔するかもしれませんよ」と。この立ち位置こそが医師の大いさを伝えているようにおもいます。


※今回で4回目の投稿です。ひと月足らずのうち、500ほどのアクセスをいただきました。うれしくおもいます。コメントもどうぞ、お願いします。次回の投稿は23日頃を予定しています。(慧

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