2015年8月19日水曜日

〈100歳〉のメッセージ



10年ほど前、同年の芹沢俊介さんと『老いの手前にたって』という対話本(2002・春秋社)を出した際、老いることへの怯えや要介護者になる不安を率直に語り合ったことを覚えています。そして、老いの潮騒に足をとられるようになったら、もうろくを濾過器として、細かいものは通して重みのあるものだけが残るはずだ―。そんな自然態をぼんやり描いたのでした。
そのなかでもうひとつ話題にしたのが〈一〇〇歳〉でした。当時、一〇〇歳を超えた人は一万五千人ほど(そのうち食事も入浴も一人ででき、自分は健康だとおもっている人は約七割)。
〈一〇〇歳〉とは、老いという過程をクリアした人、長寿というより〈超寿〉という名称がふさわしい、そんな存在にちがいないということでした。そして今日、一〇〇歳を超える人は五万九千人(そのうち、女性が七八%・2014年9月現在)。さらに増えていくでしょう。

いま話題の美術家篠田桃紅女史(1913年生まれ)のメッセージが埋まっている『一〇三歳になってわかったこと』を採りあげてみます。
歳相応という言葉があります。「年甲斐もなく」とか「いい歳をして」とか、何歳でなにをするかが人の生き方の指標になっている。けれど、生涯独り身で家庭をもたなかった著者は答えています。
90歳代まではこまったときどうしたらいいのか、参考にする先人がいた。けれど、一〇〇歳を超えると前例はなくお手本もない。自らに由って生きている時間で、すべて自分で創造していきていくほかない。一〇〇歳はこの世の治外法権」だとあります。その日常世界を訪ねてみました。

1 達観して見ることができるようになった。
 「あれができたのにもうできなくなった、自分というものの限界を知ります。歳をとったから失っていくもの、もう得られないもの、それらを達観してみることができるようになりました」
2 過去を見る目の高さが年々上がってきた。
 「同じ過去が、一〇年前の九〇歳代といまとではずいぶん違ってみえます。自分の見る目の高さが年々上がってきます。いままでこうだと思っていたものが、少し違って見えます。同じことが違うのです。自分の足跡、過去に対してだけではなく、同じ地平を歩いた友人のこと、社会一般、すべてにおいて違うのです」
3 目の高さがかわると昔話が多くなる。
 「若いときはたくさんの未来と夢を見ていました。あそこに行きたい、あれを食べたい、こんな人にあいたい。しかし、長く生きると、自分の目は未来より過去を見ていることに気付きます。年寄りは昔話ばかりするといわれますが、他に話題がないからではなく、自分の見る目の高さが変わるから、自然と昔話が多くなるのだとおもいます」
4 片足はあの世にある感覚。
「自分というものを、自分から離れて別の立場から見ている自分がいます。高いところから自分を俯瞰している感覚です。生きながらにして、片足はあの世にあるように感じます」

一〇〇歳を過ぎて生きるとはどういうことか。自らの意思を超えて、「おのずからなる世界」に入っていく感覚だとあります。「片足はあの世にある」というようだともあります。すると、親鸞の自然のままにという「自然法爾(じねんほうに)」の教えに近いことに気づかされます。
 〈自然といふは、自は、おのづからといふ、行者のはからひにあらず。然といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず。……自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。(『末燈鈔』
この世にはおのずからという「自然」の働きがはたらいていて、それはわれわれの計らいではどうにもならないことであり、この世のことは善いことをしたから善い結果が得られるとか、悪いことをしたから悪い結果になるといったようなものではないといいます。親鸞はここで、「はからひ」を超えてはたらく「おのずから」という「自然」のはたらきに、われわれを救いとってくれる阿弥陀仏の働きを見ようとしています。

篠田女史(映画監督篠田正治氏は従弟)は、初めて身内の死に接した五歳のときから次々と姉弟、友人を失った(その経緯には触れられていない)。人は運命というものの前に、いかに弱いものか。若い頃から「身の程をわきまえ、自然に対して謙虚でなくてはならない」「人は傲慢になれる所以はない」と戒めてきたといいます。「いつ死んでもいいと自分に言い聞かせている」けれど、「生きているかぎり人生は未完」と受けとめているといいます。
「いまは、私より先に亡くなった人たちのことを、後世に語っておくことが私の義務かもしれない。また、もし彼らが生きていたらどうであろうと考えるのは、その人への供養なのかもしれない」
このさきに「息を引きとる」ということばを重ねてみると、親鸞にしたがえば仏に救いとられていく正定聚のすがたがみえます。ところで、『臨死のまなざし』や『日本人の死生観』などで知られる立川昭二さんは、息を「引きとる」には、息を「手もとに引き受ける」という意味と、息を「もとに戻す」という意味があること。さらにその先に息を「引き継ぐ」という意味があるといいます(『年をとって初めてわかること』)。
「息を引きとる」とは生と死は断絶ではなく、ものがたられる〈いのちの継承〉という日本人のメンタリティ(心性)の映しことばとして聴くことができます。

『一〇三歳になってわかったこと』もまた、いのち継ぐメッセージのひとつでした。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ぼくは最近手術をうけました。それで米沢さんのブログの中に紹介されていた柳田邦男さんの『元気が出る患者学」(新潮新書)を読みました。今、ぼくのブログで内容を紹介しています。とても参考になりましt。
 こんかいのお話も自らの意思を超えて『おのずからなる世界』にはいっていく感覚が長寿とともに訪れる人がいるというのは、いいお話です。
 ありがとうございます。
(hideaki)