最近の流行ことばに「下流老人」がある。普通に暮らすことができない“下流”の生活を強いられている(生活保護基準に相当する)高齢者をさす造語だという。日に一度しか食事をとれず、スーパーで見切り品の惣菜だけを持ってレジに並ぶ老人。生活の苦しさから万引きを犯し、店員や警察官に叱責される老人。医療費が払えないため、病気を治療できずに自宅で市販薬を飲んで痛みをごまかす老人。そして誰にも看取られることなく、独りしずかに死を迎える姿をさして「孤独死」ともいう。
こうした無惨なことばが駆けめぐるなかで思いださせたのが「無縁死」。6年前、NHK・ドキュメント特集『無縁社会』(2010.1)が引き金となっていた。血縁・地縁・社縁の基盤が薄い、つまり身内や地域や職場等から孤立している単身者の死をそう呼んだ。凍死や餓死をふくめ無縁死の数は年間ざっと3万2千人、そのうち約千人が身元不明者(行政用語では行旅死亡人)。自宅の居間で死亡したのに身元不詳というケースもあったという。年間自殺者3万人という時代の暗さと符合しているようにみえる。
―孤独死も無縁死もいのちである。
そう呟いてみよう。すると、20年前になるが、無縁死・孤独死をあたかも事故死のように扱うほかなかった出来事が見えてくる。平成8年(1996)の4月、東京の中心街(豊島区池袋)のアパートで77歳の母親と病気で寝たきりの41歳息子の文字通りの無縁死だった。死後20日以上経過して発見された二人の死因は栄養失調、餓死。息子は寝巻すがたのまま居間のふとんのなかで、母親は防寒用のズボンに茶色のジャンパーやカーディガンを重ね着したまま台所付近で死亡していた。
話題になったのは、餓死への道のりを克明に書き込んだ母親の日記が遺されていたことだった。飽食の時代といわれた頃で、なぜ母子は役所に駆け込まなかったか、行政は何をしていたのか。間もなくして「餓死した背景を明らかにする社会的意義がある」として日記は情報公開条例によって一般公開された(『池袋・母子餓死日記(覚え書き・全文)』公人の友社1996)。概要はわかった。一家は亡くなる11年前にアパートに引っ越してきた。4年前に夫は肺結核で死亡、その後は母親も腰痛等いくつかの持病を抱えながら脳に障害をもつ息子の世話で手一杯の日々。収入は2ヶ月に一度母親に支給される約8万円の年金。アパートの家賃は約8万5千円。母親は貯金の取り崩しにはじまって電話を売り、しのぎ、ついにはつかい果たした消費の先に死がのこった、そんな日々がA6判ノートに埋まっていた。
亡くなる1年前、アパートの契約更新前後の日記(原文のママ)である。
1995年(平成7年)3月24日(金)うすぐもり、少しあたたかい。(13・8度)
朝一寸顔そりした。朝、9時一寸すぎに、電気代支払用紙きた。1179円、引下8円。朝9時半すぎ郵便局。電気代、1179円、三月分おさめた。その足でスーパー。ご飯160、豆乳④320、果汁②200、カボチャニ180、(885円)
主人の四回目の命日、バナナ、クッキー等、カボチャ煮、お茶、お水
今日は、主人の四回目の正月命日と言うのに、特別、何一つ、お気に入る物も、お供え出来ませず、本当にすみませんでした。今年で、この家での命日もおわりだと思いますが、現状では、どうする事も出来ませず、申し訳ありません。
3月25日(土)今日新に契約書もらって更新してきた。雨、あたたかったり少しひえたり。(12・1度)
今日は又、新たに家賃の契約をしてもらう日であるが、無事に、間違いなく、契約を、させて下さい。後、一日でも長くおられます様に、何卒、都合よく、はこばせて下さい、お願いします。契約は平成7年3月~平成9年4月11日までとなっている。
朝10時半すぎ不動産。しばらく外でまって、こられた。
○家賃85000円 ○更新料85000円、不動産手数料42500円、合計212500円。○新通帳に85、000円とかかれ、別領収書に○27、500円の受取を書いてわたされた。お陰様で、今日無事に契約を、させて頂きまして、有り難うございました、けれ共、後が、長くは、お金が、有りませんので、その後はどうなるのでせうか、不安で、たまりません。
3月26日(日)雨、小雪、ひえる。(4・5度)
私は、昨日朝方から急に左り心臓のところが痛みだし、今日は、胃全部に痛みが広がって、ずきずきと痛み困っている。(略)
3月27日(月)はれたりくもったり、ひえたり、あたたかったり。(12・9度)
朝9時すぎ、本町スーパー。豆乳②160、果汁④400、一口アゲセン②149×②296、ゴボーサラダ160、(1、046円)
ホームカレンダー今日来た。先月は、226日(日)に来た。
朝10時頃、スーパー、コーンフレーク298、甘食⑧黒パン⑦180×②360、キヌトーフ83、黒ゴマ②65×②130、(897円)
「覚え書き」と表紙に記載された日録は日付・天気・気温に始まる家計簿に近い形式はさいごまで貫かれていた。引用した箇所は一家の末路を決定する重要なアパートの契約更新時期。夫の命日(祥月命日は3月24日)は家賃をはじめ月末の支払いのスタート日。アパートの契約更新に21万円という大金を用意しなければならなかった。喰うものを抑えてきたのも、契約を更新して、最後の身の置き場所にするためだった。
日録はスーパー等の買い物レシートの転記作業。食品・生活品目の購入記録がそのまま生活表現になっている。その行間を埋めるがために日々の心情不安を記す。生活とは金銭の出し入れである。やがて日記を記すことが生活の中心になっていく。書きためた日記はしばしばさかのぼって読み返され、過去日記にあらたに注意書きを加え、反省し、ときに祈る。
(この項、「餓死といういのち― 餓死日記2」につづく)
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