2016年3月1日火曜日

 明け渡すということ


―死の間際にかかわらず、どんなときでも、人は自分を明け渡すことによって、かぎりない平和を見いだすことができる。
死にゆく人の臨床にたちあった『死ぬ瞬間』の精神科医エリザベス・キューブラー・ロスはさいごの著書(『ライフ・レッスン』)でそんなメッセージをのこした。
明け渡しと降伏には大きなちがいがある。降伏とは、たとえば致命的な病気の診断を受けたときに「もうだめだ、これでおしまいだ!」ということだが、自分を明け渡すことは、いいと思った治療を積極的に選び、もしそれがどうしても無効だとわかったとき、大いなるものに身をゆだねる道を選ぶことだという。そして、さらに次のように明言した。
「降伏するとき、われわれは自分の人生を否定する。明け渡すとき、われわれはあるがままの人生を受け入れる。病気の犠牲者になることは降伏することである。しかし、どんな状況にあっても、つねに撰ぶことができるというのが明け渡しなのだ。状況から逃げ出すのが降伏であり、状況のただなかに身をすてるのが明け渡しである」

このフレーズから、義父の晩年の立ち居振る舞いをおもいだした。
若い頃は闊達なしごと人間だったようだが、わたしが知るようになってからの義父は最小限の必要な会話以外はしない、どちらかといえば寡黙な人だった。からだは大きくて病気らしい病気をしたこともなく、八十歳を過ぎても補聴器をつけて週に何度かは一人で電車に乗って出かけたりしていた。大相撲では当時貴乃花のファンでテレビ中継はさいごまで楽しんでいた。補聴器を左耳に、右耳にはヘッドフォンを挿入して、さらにテレビのボリュームは最大にするから建物全体がスピーカーというありさまで、家族は逆に耳栓をして観ることもしばしばだった。

杖をたよりに毎日散歩していた時期もあったが、歩行が困難になったときにさいごまでこだわったのは便所への歩行と自力での排泄だった。
ベッドから5メートルほどの手すりをつけた廊下を万里の長城を進むがごとくにゆっくりと脚をはこび、便所のドアにたどりついて更に便器までの2メートルの手すりにしがみついた。最初の頃は5分くらいだったのが、やがて10分になり15分になりした。その都度、家族は遠巻きに見て見ぬふりをした。見かねて手伝おうとすると叱責がとび、手で払いのける力があったからだ。その意思と努力はたいへんなもので、ついにはいざって進みむようにもなった。一ヶ月ほど続いたが、ついに便所にたどりつけないで途中で漏らし、へたり込んだりするようになった。それでも、這いながら便所を目指した。だれも止めなかったし、尿瓶にしたら、おむつにしたらと提案する者もいなかった。

そんなある日(もう20年も前のことだ)、明治生まれの義父はわたしをベッドまで呼ぶと「ヨネザワ君、君はいくつになったか」と尋ねた。
「わたしも、もう50をこえましたよ」とこたえると「そうか。わしのようになるには、君はまだ40年はあるんだな」といい、「残念だが、だめだ。これからは迷惑かける。宜しく頼む」と告げた。

その日から義父はトイレにいくことを断念し、立ち上がることも一切やめ、ベッドのなかで蓑虫のようにどんどん小さくなっていったようにおもう。いのちの明け渡しも近いと悟ったにちがいなかった。それから間もなくして義父は暑い夏、家人が口元にもっていった水差しを手ではらった翌日に、少しずつからだが冷えていき呼吸が止まった。自ら受けとめたいのち。91歳だった。

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