自由のきく「生活」のままに
日記によると母親のからだは慢性的にふらつき、頭痛、熱、さらに腰から下はちぎれるような痛さとだるさ、吐き気がつづいている。息子の様子は記述からは判然としないがほぼ寝たきり、トイレで出血したこと、新しい国民保険証が届いた日には感謝することばがあるが、二人とも医者に行った、薬をもらったという記述はない。息子は十何年ずっと一日に一食しかたべないとある。金銭は、家賃をはじめ電気・ガス・水道料金等の支払いが優先し、亡くなるまで滞納することはなかった。毎月支払いを終えると「ぶじ済まさせていただき有り難うございました」と記すことも忘れない。
母親は「早く死なせてください」と書いた、すぐその手で新聞が届いていないことに気づき、配達されなかった過去の日付まで即座に拾いだして、電話で不満をいい配達させたりもしている。テレビやラジオは見あたらず、社会への窓口は新聞(毎日新聞)のみ。「きょう1995年4月1日は、あの『阪神・淡路大震災』がおそった、1月17日から、ちょうど75日目にあたる」と記すなど、世間に背を向けたり、自ら閉じる態度はなかった。警察庁長官の狙撃事件、オウム事件についてもしっかり受けとめている。死ぬ三か月前には5万5千円で電話を手放すが、1月3850円と最大の出費となる新聞だけはさいごまで解約しようとしていない。
そんな母親の生活意志を際だたせているエピソードがある。日記が途絶える40日ほど前、体力・気力とも衰弱しきった頃の“70円”事件の顛末である。
1月31日(水) 1月分の電気代1226円を郵便局で収めた。間違って70円多くもらってきてしまいました。すみません。近日中にかえしに行かなければ。
2月1日(木) はれ、ひえる。(6・1度)
2月2日(金) 今日は、郵便局に先日知らずにおつりがないと思って、余分に頂きました70円を無事に返しに行かせて下さい。後で問題がおきませぬ様によろしくお願いします。朝9時すこし前、郵便局、先日1月31日(水)の時の男の受付の人がおられたので、おつり70円をあげて、おわびのアイサツしたが感じよく受け取って頂きまして、ありがとうございました。何時も何時もご心配やごくろうをおかけいたして申し訳ありません。
その足でスーパー。 甘食②360円、トウフ(キヌ)①88円、うの花200円、ソフトサラダ168円
2月3日(土) はれ、毎日きびしい寒さ。(8・9度)私はとうとう風を引いてしまった。昨日からは頭が痛く熱があって苦しい。今年はカーペットもないし火の気もないので寒くて寒くてたまらない。
2月4日(日)ねたきりの状態で食事がぜんぜんいけない。
2月5日(月)はれ、ひえる。(10・1度)9時過ぎスーパー 牛乳120円、ヨーグルト100×②200円。大根サラダ190円。お陰様で無事に行かせていただき、少しは食もいけました。
2月2日に郵便局に余分に頂いたお金70円を1月31日の時の受付の男の人に70円だったですねと念を押して返していたのに今日手紙に70円多く渡しているから返してほしいとあるが、先日の男の人は黙っていたのだろうか。又、うちが70円余分にあげるのだろうか、フにおちない。明日にでも郵便局に行ってはっきりとしなければ。
2月6日(火) 今日は郵便局のお金の問題を無事に解決させてください。お願いします。すでに70円は返しておりますので、よろしくお願いします。
朝9時半すぎ、郵便局へ先日お金70円をお返しした男の人がおられたので、たずねたところ、手紙は入れ違いにだした。たしかにお金は受けとっているといわれたのでほっとした。無事にすみましてありがとうございました。
こんなところにも、福祉の手を振り払う姿勢がみえている。
この母子の餓死報道がされると、多くの人が「なぜ母子を救えなかったのか」「行政はいったい何をしていたんだ」「母子はどうして役所に駆け込まなかったのか」といった思いを口にしたにちがいない。けれど、「覚え書き」によると、母親は、区役所の福祉相談を受けるつもりがないことは、死亡する1年前の日記や、日記が途絶える3日前にも記している。
(1995年3月29日) 朝、年金係の人からの手紙が入っていた。昨日きたのだろう、うちがお金に困り、後、暫くしかここにおれないのを読まれて、相談するようにと、区役所と、西福祉事務所など教えて書いてあるが、私どもはここが、最後といって有るし、自分で家探しもできない、家に入らないといっている。それに良い人が世話をしてくれるとよいが悪い人にあったらたいへんと聞いているので、最後までガマンする。
(1996年3月8日) …きれいに食べ物がなくなった。後はお茶だけで毎日何もたべられない。28円だけのこっているが、これでは何も買えない。子供がすいじゃくして死ぬのではないか、それが心配である。区役所等にたのんでも、私共は、まともには世話してもらえないし、どんな所に、やられて、どう生活をしなければ、出来ないかを考えると、子供と私も病気で苦しんでも、だれも、分かってもらえそうにないので、今の自由のきく生活のままで、二人共、死なせて頂きたい。…
「今の自由のきく生活のままで、二人共、死なせて頂きたい」
この一節から、人生の主題が衣・食・住のうちにはなく、内面の自由のうちにこそあることを伝えている。この生活意志によって「餓死」もまた、いのちことばとして際だたせている。死もいのち、メメント・モリ(死を思え)。そんな時代の幕開けの一端を刻印していたのだ。
1 件のコメント:
切実な内容で胸が詰まりました。
自分も寿命になる前にお金がなくなれば死ぬだろうと覚悟しておる者です。
でも内面の自由が奪われさえしなければ、若いまま死ぬことは怖くないんです。
しかし状況に追い込まれて殺されるのだけは嫌な死に方だと思い恐怖を感じますが!
誰か一人、お金持ちになるたびに、誰か一人、貧しい人が死んでいる。
=誰かが死ぬたびに、誰かがお金持ちになっている。
こういう仕組みの世の中で生きていることをもっと明確に知られてほしいです。
せめて子供だけはみんな平等な保障があればいいのにですね。生きる権利があるのにですね。
権力を持つ人は貧しい人たちのいのちを犠牲にして安全地帯にいるのに、
ほとんどの人が無自覚に身近なところで権力を崇拝してると世の中は変わらないと思うんですけどね。
いのちの普遍性、自然性が根拠になっているものが「いのちことば」でしょうか?
日常に、いのちことばをさがしたり、みつけたりできるようになると、救われますね。
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