2019年10月15日火曜日

とまどう-「受容 」と「従容 」



 死ぬときぐらい好きにさせてよ
 平成から令和へ-この30年で大きく変わったことといえば、がんの告知が当たり前になったことだ。「画像診断PETCTMRIでは…ステージ2です」、まずはエビデンス(科学的根拠)から始まる。「新しい抗がん剤を試されると生存率はこれぐらいかわります…」「食べられなくなったら、胃ろうにしますか」「呼吸器はつけますか、つけませんか」。「さいごは在宅にしますか、ホスピスですか」

こんなやりとりによって、「人生最終段階の医療」態勢(ACP アドバンス・ケアプランニング)が整えられることになった(「人生会議」「もしバナゲーム」参照)。
 そんな医療を見限って「死ぬときぐらい好きにさせてよ」ということばを遺して亡くなったのが樹木希林さん(2018年915日逝去)だった。そのセリフはこうだった(『樹木希林 120の遺言』)。
 人は必ず死ぬというのに/ 
 長生きを叶える技術ばかり進化して/
 なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。/ 
 死を疎むこともなく、死を焦れることもなく。/
 ひとつひとつの欲を手放して、/
 身じまいをしていきたいとおもうのです。/
 人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。             
希林さんが「全身がん」だったとはいえ、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」とは、自死を願ったことばでも、自暴自棄から発したものでもなかった。

 死の臨床は感情労働である
 鳥取市内で有床診療所「野の花診療所」のホスピス医・徳永進さんの近著『「いのち」の現場でとまどう』(高草木光一編・岩波書店)からも、同じような訴えが聞こえた。
 その一つは「死の臨床(終末期)」が行政用語として「人生最終段階の医療」ということばに整えられたことにある。徳永医師は「臨床の定置網化」という表現で批判されていることだった。一言でいえば、どんなに医学が進んでも人の生と死を操作できるわけではない。「いのちの臨床は海だ」、それも「汽水域」だという。
 「汽水域」というのは海水と水が混ざり合う領域のこと。穏やかな光が届いているかとおもうと、冷たい風に波のうねりが加わり、高くなったり、水がにごったり。そこは医療の役割を担った資格者や専門家が取り囲んでも乗り切れる海ではないという。医療・看護・介護といえば、肉体労働だとも精神労働だとも言い難いところがある。そこでは、見えないが無心の「感情労働」が大きな力になるのだという。
 患者さんが亡くなったときに「やり通したね、頑張ったね」と医療者と患者さん家族が抱き合うことだってある。「医師と患者という関係をこえて、生身の人間を相手にした喜び、それが感情労働が力なんです。私は『第二感情労働』と呼んでいます」と。(ちなみに、「第一感情労働」とは、優しいふりをする人工的優しさ。さらに「患者さま」を口にする病院はインチキ、だという)

 「受容(じゅよう)」と「従容(しょうよう」
 それではもう一つ。人は人生の最終段階でどのような死を迎えるのか。
 数千人の人を看取ってきたホスピス医には死にゆく人の姿はどう映っているのか。「死を受容する」という表現が一般化しているが、徳永医師はそう看做してはいない。「受容」ではなく、むしろ「従容」としての死があるという。
「受容」と「従容」はどう違うのだろうか。「(死の)受容」という言葉はホスピス用語として知られている。1970年代にエリザベス・キュブラー・ロスの「死とその過程」五段階説で衝撃的に登場した。がん告知に始まり、否認、怒り、取引、抑うつ、そして最後が「受容」となる。外来の思想ながら日本の医療界でも「受容」は終末期の聖なるいのちの姿としてホスピス用語として定着してきた。
「彼は死を受容した」とは、理性で手繰れる言葉である。それだけに強制語になりやすかったのはたしかだった。
 これに対して「従容」とは「動じることなく、ゆったりとしているさま」であり、「従容として死に就く」というフレーズはわが風土に馴染んでいた。人生の最終段階には死に抗うことはなく、また積極的な「受容」のかたちでもない、自然死に通じている姿である。樹木希林さんの死への道標も「従容」だったのであろうか。

 徳永医師自らがモデルとなった新劇舞台「野の花ものがたり」を観たことがある。その関連インタビュー(『民藝の仲間』399号)のなかでこう語っている。
「(たくさんの人を看取ってきた感想を聞かれて)不思議なことに、みんな死んでいかれる実力をもっておられる。若くても、赤ちゃんも、青年も、99歳のおばあちゃんでも。おとついまでは目でしゃべられていてもふっと今日は死を遂げられる。 …人間の本質的なものとして、自分の死は多くの人に見られたくないと思っている」

 

2019年7月11日木曜日

「いのち」の位相をひもとく

 ─病院医療から地域包括ケアへ

 少子高齢化社会の真っ只中で元号が「平成」から「令和」に代わった。この間、わが国の医療水準・介護水準・栄養水準・衛生水準等どれをとっても飛躍的に高くなったことだけは疑えないだろう。
 では、「いのち」の位相はどう変化したのだろうか。
 私が引き出した視点は長寿社会の分岐点となる介護保険法の施行(2000年)である。ここから「病院の世紀から地域包括ケアへ」という汽水域に入ったのではないか。そこから、「いのち」の位相を繙いておく。

 ▶いのちの社会学
 ①『病院の世紀の理論』 猪飼周平 有斐閣(2010
 20世紀の医療は治療医学として病院を中核として診療所との二元的な医療システムで繁栄してきた。「3時間待って3分間医療」と揶揄される一方で「病院死」は1976年に「在宅死」を抜いて「病院で生まれ病院で死ぬ」社会が定着し、そのまま「予防・治療・福祉」を包括した地域ケアに向かったとされる。他に『日本の医療 制度と医療』島崎謙治・東大出版会(2011

 ②『ケアの社会学 ─当事者主権の福祉社会学へ』 上野千鶴子 太田出版(2011
 急所は「ケアをすること、ケアをされること」にふれた4つの権利(ケアする権利、ケアされる権利、ケアを強制されない権利、(不適切な)ケアされることを強制されない権利)。「よいケア」とはケアされる者とケアをする者双方の満足を含まなければいけない。また、介護保険制度は、ケアワークが「不払い労働から支払い労働になった」ことを画期的な成果の一つとし、さらに次世代福祉社会の構想にもふれている。
 関連しては大熊由紀子『物語 介護保険(上下)(岩波書店・2011)がある。因みに「介護」が国語辞典に登場するのは昭和53年(「広辞苑」)である。

 ③『ナラティブ・ベイスト・メディスン 編集 T・グリーンハル&B・ハーウィ ッツ 斎藤清二他訳 金剛出版(2001
 今日の医学は、エビデンス・ベイスト・メディスン(科学的根拠に基づいた医療)によって大きな成果をあげてきた。けれど、人はそれぞれ自分の「ナラティブ(物語り」を生きており、「病気」もまた、その人の物語の一部であること。そこに注目したもう一つの医療が「ナラティブ・ベイスト・メディスン」
 たとえば、治療が不可能な場合や高齢者のケアには、その人がどのような「物語」を生きようとするのか。患者は自分の病について物語るために医師のもとにやってくる。それに応え援助する「対話」が還りの医療や福祉介護に大きな道をひらいていったのである。

 ▶いのちの場所
 HUMANITUDE(ユマニチュード)』イヴ・ジネスト&マレスコッテ 本田美奈子監修 辻谷真一郎訳 トライアリスト東京(2014
 「ユマニチュード」とはフランス語で「人間らしさ」を意味する。本書は体育学を専攻した二人のフランス人による、認知症の人や高齢者など、ケアを必要とする人に向けたコミュニケーションの哲学であり、その技法を指している。具体的には「見る」「話す」「触れる」「立つ」という人間の特性に働きかけることでケアを受ける人に「自分が人間であること」「大切な存在であること」を伝える。わが国でも支持され広まったケアの技法の第一は「あなたに会いに来た」ことを示すことから始まる。その他、同著者による『「ユマニチュード」という革命』 誠文堂新光社(2016)がある。

 ⑤『「在宅ホスピス」という仕組み』 山崎章郎 新潮選書(2018
 平成2年(1990)、一般病院での悲惨な終末期医療の現状を訴え、ベストセラーとなった『病院で死ぬということ』(主婦の友社)から30年。ホスピス運動の旗を振り続けてきた著者の到達点。落ち着いた居場所は在宅診療専門診療所。年間100万人の介護者と150万人の病死者が日常となるという「2025年問題」を前にした、尊厳ある死を迎えるためのテキストといえる。
 関連して、都道府県別の老衰死率と在宅死率等の分析から捉えた『地域医療と暮らしのゆくえ』高山義浩 医学書院 2016)。さらに、地域共同体が崩れていく中で「看取り」の文化を継承する民家再生活動を立ち上げた女性たちの『ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方』市原美穂 木星舎 2011)をあげておきたい。
 ※
 これらを「ひもとく」際に下支えしてくれた文献をここで補っておこう。『いのちとは何か 幸福ゲノム・病』本庶佑 岩波書店(2009)。『養育事典』芹沢俊介、山口康弘他編 明石書店(2014)。『中動態の世界』國分功一郎 医学書院(2017)。『バイオエシックス その継承と発展』丸山マサ美編 川島書店(2018)。そして『サピエンス全史』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社(2016)


2019年4月3日水曜日

「もしバナゲーム」ー“人生会議”(そのⅡ)



「終活」ということばは平成生まれ(2012年)の新語・流行語だ。人生さいごを迎える際の準備や始末を指す。一般的には葬儀や墓、遺産相続などが取り上げられることが多い。けれど、人生の最期にはもう一つ「いのちの始末」が先行している。終末期医療に介護など切実である。さらに尊厳死とか孤独死に平穏死といったことばも目につくようになった。一言でいえば、長生きする時代は死が見えるようにもなったことだ。そして医師はエビデンス(科学的根拠)から「そう遠くない日に…」とか「後1年です」と断言するかもしれない。そのとき、私たちはどう受け止め向き合うことができるだろうか。
ところが、そんな「もしものための話し合い」を想定した「もしバナゲーム」というカード遊びが巷に拡がっている。そこで遅ればせながら、ある街のデイサービス・カフェにでかけて、リクリエーション・ワークに参加してみた。その感想が以下である。

”人生会議”のゲーム化
カードは1セット36枚。そのうちの35枚には重い病気や、死が近づいたときの意思や願い事が書かれている。「祈る」の一言ですむかもしれないが、多くは友人や家族、さらには医師への訴えがゲームカードになっている。
「家で最期を迎える」「家族の負担にならない」だったり、「呼吸が苦しくない」とか「だれかの役に立つ」、「機械につながれていない」など。また、「自分が何を望むのか家族と確認することで口論を避ける」のカードもある。つまり系統だった言葉が用意されているのでもない。残りの1枚は「ワイルド・カード」で、独自の希望があるときに使う(例・「さいごは好きな楽曲を聴きたい」)。
一人遊びなら36枚のカードから、〈①私にとって、とても重要 ②私にとって、ある程度重要 ③私にとって、重要でない〉の3つに振り分けてみるといい。これまでは考えてもいなかった言葉が目に止まり、おもわず自身の死生観が見えてくるかもしれない。
私が加わった4人一組のレクリエーションルールをあげてみよう。
①各プレイヤーに5枚ずつカードを配り(計20枚)、次に場に5枚のカードを表向きに置く。残りのカードは中央に積む。
②プレイヤーは自分の順番が回ってきたら手札の中から不要なカードを一枚、場に置かれた札と交換する。その繰り返しで積み札がなくなったらゲーム終了。
③各人は手元にある5枚のカードから特に大事だとおもうカードを3枚選ぶ。選んだカードを開示して、みんなに説明する。
すると、「祈る」「自分の人生を振り返る」「不安がない」というカードを見せながら、もう1枚「誰かの役に立つ」のカードも捨てがたいと口にした男性がいた。また、「あらかじめ葬儀の準備をしておく」「お金の問題を整理しておく」の2枚を手にして、これで安心して逝くことができます、と微笑んだのは御婦人だった。もちろん、ここで第三者の批判があってはならない。
この場にもし、医師や看護師や介護関係者が参加していれば、どうなるだろうか。厚労省が昨年暮に「(終末期の)患者の意思決定支援」会議の愛称を「人生会議」と命名したACP(Advance Care Planning)の集う場面と重なっている(“人生会議”そのⅠ 参照)。つまり、「もしバナゲーム」は「人生会議」をそのまま遊戯化したものだともいえそうである。

終末期のゲームあそび
人生の最後の”願いや訴え”をことばカードにして遊戯化してしまう。
この力技はどこから引き出されるのだろうか。そんな問い方には、名著ホモ・ルーデンス(遊ぶひと)』ヨハン・ホイジンガ 1938年)を重ねてみることができる。そこには「遊び」こそホモ・サピエンス(賢いひと)である所以だ、人間と文化の本源的な要素だと述べられている。ちなみにホイジンガは遊戯という概念について、日本語の「遊び(名詞)」と「遊ぶ(動詞)」から、「緊張のゆるみ、娯楽、時間つぶし、気晴らし、物見遊山、賭け事、無為安逸、何かを演ずる、模倣する…」等、多彩でかつ深い「遊び」文化に言及(第2章)しているほどである。
また、学びは遊びから、ということばもある。スクール(学校)の始まりはスコーレ(遊び)からきている。あらためて “いのちことば”を集めてなった「もしバナゲーム」はホモ・ルーデンス(遊ぶひと)の強かさを示しているといっていいかもしれない。

2019年1月11日金曜日

”人生会議"  ー制度化された終末期ケアをめぐって



 《ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称を「人生会議」に決定しましたー 人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み、「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」について、愛称を「人生会議」に決定しましたのでお知らせします。》
      ☆
 上記は師走を前にした平成301130日(金)、厚労省のホームページ(照会先・医政局地域計画課)の掲示板である。
この見出しを読んでみて即座に理解できた人はどれだけいただろうか。ここでACP(advance care planning)とは、平成30年度診療報酬改定に際して、看取り加算の要件となった「(終末期の)患者の意思決定支援」に基づく「事前ケア計画」会議のこと。その愛称を公募した結果、千件を超える応募数から「人生会議」としたという報告だった。
「人生の最終段階の医療」とは、病院の延命治療に限らない在宅医療や介護の現場等での死を迎える時期をさしている。また、悪性腫瘍、心不全・呼吸不全等の時期や、認知症さらにはフレイル(健常から要介護へ移行する段階)でも終末期判断はある。医師が一年以内に亡くなるかもしれないと判断できそうならACP(人生会議)は奨励されるという。その際の主題になるのは、たとえば、
①人生最後を過ごしたい場所は?(自宅、病院、介護施設、その他)。
②自分で食べることができなくなり、回復もできないと判断された時の栄養手段は?(経鼻チューブ栄養、中心静脈栄養、胃ろう…)、
③医師が回復不能と判断した時に、してほしくないこと?(心肺蘇生、人工呼吸器、気管切開…)。さらに、④患者の意思確認が不可能な場合、誰に?(家族、代理人)等。
こんな重たいことを確かめ聞き出す会合を「人生会議」にしようというのだ。その会議には患者・家族を真ん中に主治医、看護師、ケアマネージャー、介護福祉士など多職種の医療ケアチームが取り囲んでいる「地域包括ケア」の構図と重なってみえる。
ここで意思決定のキーワードを思い浮かべると、けっして簡単ではない。家族との関係性、地域性、文化などがその人の価値観や意思決定に関わるからだ。話し合いは繰り返し行われることや、本人の希望が変わってもよいことも前提になる。それだけに戒めも必要であろう。心の準備ができていない人に決めることを要求したり、事前指示書の作成を目的にしてしまったり。
主役はあくまでも患者本人。患者の意思や心の揺れを見逃さないで、繰り返し話し合うことが求められる。
関連して厚労省は、1130日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」「人生の最終段階における医療・ケアについて考える日」と命名している。私達は今日、人生最後の死に方まで医療の手を借りないと生涯を全うすることができないということだろうか。
     ☆
ここで、在宅医の鐘ヶ江寿美子さん(佐賀県小城市)から聴いた“3つの死”を引き合いにしてみよう。
末期がんのOさん(78歳)との在宅診療初日のこと。Oさんは「私はこれまで、三度死んだんです」と語りだした。1つは40歳時の交通事故による左下肢切断(それに伴う職業の大転換)。2つは76歳時に余命1~2年とされた前立腺がん(ステージⅣ)。3つ目はその直後のレビー小体型認知症(幻視・幻聴)。この「三つの死」は当初は妻が聞き役だった。今度は医師が聞き手になった。そして2年後、妻に面倒かけたくないと自ら病院に入院し亡くなったという。「三つの死」はたしかに生きてきた徴、「生きてきてよかった」というOさんのメッセージだったのではないか、それが鐘ヶ江医師の感想だった。
「人生会議」とは、そんな聞き手、受けとめ手になる人によって、いのちを伴奏するケアのかたち」が整うことではないか。わたしたちはそれを「ファミリー・トライアングル」と呼んでいる。OさんにはB(家族)とC(医師)という陣形(三角形)ができている。声をかけ(コーチング)、目で合図する(アイ・コンタクト)と、「共にいる」ことに根ざした共感が支えになっている。三人目、三番目の役割が支えになるはずである。関連して、作家の柳田邦男さんには「二・五人称」という表現がある。一人称は私(患者)、二人称は家族や恋人、そして三人目の医師や看護師や介護の専門家は、患者や家族に寄りそっていく「二・五人称」の視線が大事だと。